ビートルズの演奏を撮影した動画の中で公表されているもののうち、最も古いとされているものがいつどこで撮影されたのかについてはちょっとした論争があります。今回は、このことについてお話します。
1 ビートルズ史上最古の動画
(1)メジャーデビュー前のビートルズの動画
まずこの動画をご覧ください。
わずか31秒の動画ですが、確かにライヴ中のビートルズが写っています。しかもカラーです。
しかし、大変残念なことに音声が入っていません💦ですから、彼らが何を演奏しているのかは分かりません。最初はジョージがリードヴォーカルを取り、次にポールがリードヴォーカルを取っているので、どうやら違う曲を演奏しているようです。
動画サイトでは音声の入った動画も公開されていますが、それらはあくまで後から音声を足したものであり、オリジナルではありません。
この動画の投稿者は、「ロールオーヴァー・ベートーヴェン」「カンザスシティ/ヘイ! ヘイ!ヘイ!」 を音源として足しています。確かに、ジョージの口の動きを見るとそう見えなくもないのですが、ギターのコードが違うような気がします。
ビートルズ研究の第一人者、マーク・ルイソンは、ジョージがクリフ・リチャードの「ドリーム」、 ポールがジーン・ヴィンセントの「ダンス・イン・ザ・ストリート」を歌っていたとしています。もっとも、後者は時々「トウィスト・イン・ザ・ストリート」と置き換えられて演奏されました。
ただ、「ドリーム」と推察するのはどうでしょうかね~?オリジナルはバラードなので、ちょっと違うんじゃないかと思うんです(^_^;)画像を見る限り、アップテンポなナンバーに見えますからね。ビートルズがアップテンポにアレンジしていれば別ですが。それに正しいタイトルは「シーム・フォー・ア・ドリーム」です。
「ダンス・イン・ザ・ストリート」のオリジナルはこれです。こちらはアップテンポなので、そうかなって感じです。
彼らのコスチュームからすると、明らかにメジャーデビュー前ですね。問題は、これがいつどこで撮影されたかです。
(2)公表されている動画の中では最古
上記の動画は、現存し、なおかつ公表されているものとしては最古のものといわれています。これは記録によれば「スーパー8ミリ」で撮影されたとあるのですが、それがコダック社製のものを指すのだとすれば、1965年に初めて発売されたので年代が合いません。
この動画だけではなく、これからカットされた静止画も存在します。イメージ写真はその一部ですが、これは、1973年に撮影者の息子によって発見され、1996年にサザビーズでオークションにかけられました。
2 動画の内容
その動画には、様々なクラブで撮影されたビートルズ以外の演奏者の画像も含まれていると報告されています。そこでは、客が酒を飲み、スヌーカー(ビリヤードの一種ですが、一般的なものよりテーブルが大きくて玉が小さくルールも異なります。)をしながら、バンドの演奏を観ています。
ビートルズの演奏は、2つの別々のパートに分かれており、2つの違う曲が演奏されているように見えます。最初は、ジョージがリードヴォーカル、2つ目は、ポールがリードヴォーカルを取っています。ジョンは歌っておらず、ピートはまったく見えません。
サザビーズのオークションにかけられる際、動画の一部がイギリスのITN NewsとアメリカのExtraで放映されました。
2004年には、その内の殆どが「BEST OF THE BEATLES ビートルズ誕生秘話 ピート・ベスト・ストーリー」に収録されました。
3 いつ、どこで撮影されたのか?
では、一体、いつどこでこの動画が撮影されたのでしょうか?これには諸説があります。
ある人は、1961年2月14日のカサノヴァクラブでのライヴだと主張しています。あるいは、1962年2月10日のバーケンヘッドにあったセントポールズ長老教会でのライヴだと主張する人もいます。
ビートルズは、レザージャケットを着用しています。このことから1961年7月(ハンブルクからイギリスに戻ったとき)から1962年3月(彼らが革の衣装をやめてスーツを着用した時)の間に撮影されたのではないかと推察されます。
4 様々な角度からの推察
(1)使用した楽器からの推察
ポールは、1961年4月頃にドイツで購入したHofner(ヘフナー)500/1、ジョージは、同年7月頃に購入したGretsch Duo Jet(グレッチ・デュオ・ジェット)を弾いています。となると、この動画は、どれだけ遡っても1961年7月以降に撮影されたことになります。
元々ポールは、ギターを担当していたので、ベースは持っていませんでした。しかし、ベーシストのスチュアート・サトクリフがビートルズを脱退したため、彼がベースを担当させざるを得なくなりました。
スチュアートは、自分が使用していたHöfner500/5ベースを、脱退する時にポールに貸し出したのです。
しかし、彼は、ポールに弦を張り替えないように頼んだので、ポールは右利き用の弦のままで演奏しなければなりませんでした。ポールは左利きなので、元々ギターの弦を上下逆に張り替えて弾いていたのです。右利き用にチューニングされたベースでも演奏できたポールの器用さには呆れるばかりです(^_^;)
ただ、流石に器用な彼でも、いつまでも借り物のベースを弾いているわけにはいきませんでした。それで、あり金をはたいて自分のベースを買うことにしたのです。
当時、フェンダーは、100ポンド前後(2018年の物価で換算すると2,000ポンド(約220,000円))もしたのでとても手が出せませんでした。やむを得ず彼は、Steinway-Haus Music Store(スタインウェイハウス・ミュージック・ストア)で、ヘフナー500/1を30ポンド(2018年の物価で換算すると600ポンド(約87,500円))で購入しました。
フェンダーよりかなり安いですが、これでも当時の彼にとっては大金でした。
ジョンは、スチュアートが脱退する前に1958 Rickenbacker 325 Capriを購入し、ジョージは、Gibsonのアンプを購入しました。
彼らもポールと同じスタインウェイハウスで購入したとするのがこれまでの通説的見解ですが、最近ではMusikhaus Rotthoff(ムジークハウス・ロットホフ)で購入したとするのが有力な見解となっています。
(2)ステージ衣装からの推察
ビートルズが着用している衣装は、アーリー・ビートルズの象徴ともいえるものですが、これらは、ハンブルクで購入したものです。カウボーイブーツ、ジーンズ、黒のレザージャケットとズボンで統一しました。ジョンは、こう語っています。
「僕たちは、二度目にハンブルクへ行ったときは前よりは稼げるようになったので、新しい衣装としてレザーパンツを買った。ジーン・ヴィンセント(「ビーバップ・ア・ルーラ」などのヒット曲があります)が4人揃ったみたいだったよ。」
1961年3月以前だとするとこのようなお揃いのレザーの衣装ではなかったはずです。これらの事実は、アンディ・バビュイックの著書である「ビートルズ・ギア」の記述とも一致します。以前はこんな感じでバラバラでした。
(3)ステージの飾りつけからの推察
赤いハートのマークが、ビートルズのステージの背面に飾られています。これは、この日がバレンタインデーで、その飾り付けだったのではないかと推測されます。仮にそうだとしたら、1962年2月ということになります。
もっとも、ハートのマークは、バレンタインに関係なく飾り付けられたりもしますから、絶対そうだとは言い切れません。
さらに、ビートルズの背後に金色のラメのカーテンが見えます。「ザ・ビートルズ/全記録 コンプリート・ビートルズ・クロニクル」では、1962年2月20日にビートルズが演奏したフローラル・ホールに金色のラメのカーテンがあったとマーク・ルイソンが記載しています。
もっとも、他の会場でも金色のラメのカーテンを張っていた可能性はあるのですが、フローラル・ホールが一番可能性が高いのではないかと考えられます。
(4)セントポール長老教会か?
しかし、元ドラマーのピート・ベストは、1962年2月10日、バーケンヘッドのセントポール長老教会のホールではないかと語っています。
「この映像は、フローラル・ホールではなく、バーケンヘッドのセントポール長老教会のホールではないかと思う。私たちは、セントポールのチケットを持っている。」
バレンタインのハートのマークがありますから、バレンタインの4日前の2月10日に飾られていたとすればつじつまが合います。逆に、これがバレンタインから6日後の2月20日に飾られていたとすれば、もうバレンタインの時期は終わっているのですからつじつまが合いません。
5 決め手はない
いずれにしても、2月10日のバーケンヘッドのセントポール長老教会のホール、14日のカサノヴァクラブ、20日のフローラル・ホールのいずれが正しいか決め手はありません。
あくまで私個人の見解ですが、2月10日のセントポール長老教会のホールではないかと思っています。何しろキリスト教の教会ですから、ヴァレンタインズデーは盛大に祝ったと思うんですよ。それで、金色のラメのカーテンに赤いハートのマークを飾り付けたのではないかと。まあ、単なる憶測ですが(^_^;)
将来、もっと決定的な証拠が発見されるかもしれません。ただ、1962年2月にはキャヴァーンクラブなどで数多くのライヴが行われましたが、この動画はそのいずれでもないことだけは確かです。
いずれにせよ、音声が入っていないだけに歴史的価値しかありません。ただ、彼らがビートルズを名のって以来、初のカラーフィルムであることは間違いありませんから、歴史的価値は大きいでしょう。
ところで、1961年4月から6月の間に、ビートルズがハンブルクのトップテン・クラブに出演していた模様を撮影した3分間の8mmフィルムが存在するといわれています。しかし、これはまだ公表されていません。残念ながら、これも音声が入っていないようなので、歴史的価値しかありません。
また、もし、それがトップテン・クラブ時代のものだとすると、ピート・ベストが全く撮影されていないようなので、その歴史的価値も若干下がってしまうかもしれません。
また、長くなってしまいました(^_^;)
(参照文献)Beatlesource, The Unreleased Beatles
(続く)
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