退化論。 | こちらからは以上です。

こちらからは以上です。

ボートレース・オートレースに関する事を〝斜め下〟目線から鈍く、緩く書いています

ふと、ダチョウ俱楽部のおでん芸はなぜ批判されないのだろうかと思った。昨今、テレビのバラエティ番組もいろいろな制約が強まり、少々度を超してしまった企画などはすぐにネットで炎上してしまう時代。TV局もスポンサーのイメージ悪化を恐れ、昔の「お笑いウルトラクイズ」のような狂気とパワーに満ちた番組はもう地上波では二度とお目にかかれないだろう。そんな時代だから、ダチョウ俱楽部のおでん芸も「食べ物を粗末にするな!」と批判の的になってもおかしくないはずだが、不思議とそういう声は上がらない。一部ではそういう声もあるのだろうけど、表立って問題にはなっていない。これはやはり、ダチョウ俱楽部のおでん芸は、ちゃんと〝芸〟として昇華しているからではないか。三人の息の合ったコンビネーションや、期待を裏切らないリアクションは、熟練された立派な〝芸〟だし、見ていて少しも不快にならない(少なくとも私は)。ただやみくもに食べ物を使って笑いを取っているのではないからね。ちゃんとした〝芸〟はやはり認められるものですよ。

 

と、ここまでが前置き。いまさらですが、現在のボートレースはインが強い。これはもちろん様々な要因が重なってのことなのですが、その一つにモーターの出足性能が近年、格段に良くなったというのも大きな要因でしょう。つまりスローからのスタートが決めやすくなったわけですね。私としては、インが強いのはモーターの性能や、選手の旋回技術が上がった事による、競技としての成熟の結果だと思うので、「仕方ない」のかなと思うところもありますが、それでもイン逃げ決着ばかりだとウンザリしてしまうよなぁ。そしてその進化の過程で失われて行くものも少なからずあります。

 

そもそも昔の「若手は外へ、ベテランが内」という風潮は、年功序列で若手が先輩に内を譲っていただけではなく、当時はスローからスタートを決めるのが難しかったからだ。コース争いも活発だったので競り合いで深い起こしになるのも日常茶飯事だったし、今ほどモーターの出足も良くなかったので、アジャストしようものなら、ダッシュ艇のまくりのえじきになってしまうからですね。だからスローからスタートを決めるには〝経験〟と、〝技術〟が必要だったわけで、「経験に乏しい若手は、スタート決めやすい外のダッシュ戦で勉強しなさい」というのは、理にかなっていたわけですね。一方で〝イン屋〟と呼ばれる選手たちは、どんなに深い起こしになってもしっかりとスタート決めてくる、確かな技術を持っていた。それはタイミングに合わせるスタート勘しかり、深インに持ちこたえるモーターの整備力であったり。その技術にファンは酔いしれ、金をかけていた。

 

もう一つ、近年は不良航法が非常に厳しく取られる傾向にあります。これに関しては、重大な事故が起きてからでは遅いので、安全対策の一環ならやはり仕方ない。ただ、「伝説の名勝負」の呼び名高い第10回賞金王決定戦での、中道善博さんと植木道彦さんのゴール線まで続いた極限バトルを思い出していただきたい。1周2M回って、2周目のHSでは植木さんが3艇身ほど差を広げていましたが、2周1Mでの中道さんの内切り返しからの合わせマイは芸術的だった。後に中道さんが、「あのレースはお互いがミスのし合いだった」と語っていましたが、2周1Mで植木さんが僅かに見せた〝隙〟を、中道さんが絶妙なハンドル捌きで突いたのだ。しかしこれだって今の基準からすると不良航法になるかもしれないですよね。あの場面での中道さんのターンが危険なダンプなどでは無いのは誰の目に見ても明らか。だからこそ「伝説の名勝負」として語り継がれているのですよ。もちろん危険なダンプは論外ですが、あまりにも不良航法の基準が厳し過ぎると、「張りマイ」とか、「合わせマイ」といった〝技術〟がやはり廃れて行ってしまうよね。

 

そういったファンをうならせるような技術がどんどん失われ、高スピードで小さい旋回半径で回る技術だけが進化した結果、現在の枠なり進入・イン逃げ連発という体形になっているのではないでしょうか。とりあえずは売り上げも伸びているので、それが良いのか悪いのかは分かりませんが、近年のボートレースに〝薄っぺら〟な印象を受けるのは私だけではないはず・・・。