2020年05月14日
疫病が大流行すると、社会の制度が大きく変わる
中世(5〜15世紀頃)の西ヨーロッパでは、イギリス国王やフランス国王、ドイツ皇帝(当時のドイツは「神聖ローマ帝国」といい、国王は「皇帝」を名乗っていた)などがそれぞれの国の統治の分野で力を発揮する一方で、信仰の分野ではローマ教皇が絶対的な力をもって君臨していました。
統治の分野で支配階層の頂点に立つ国王は、同じ支配階層である大諸侯、諸侯、騎士、つまり貴族たちに領地を与え、その代わりに軍役を課し忠誠を誓わせました。こうした領地を媒介とした主君と家臣の契約により、中世の封建制度は成り立っていました。
彼らの領地を耕したのが、被支配階層である農民(=農奴)です。農奴は貴族から支配・保護される代わりに、賦役・貢納の義務を負っていました。西ヨーロッパの国々では、国王、大諸侯、諸侯、騎士の支配階層が領主となって、被支配階層である農奴を差別し、きわめて不自由な身分にさせていたのです。
しかし、14世紀にペスト(黒死病)が大流行すると、西ヨーロッパの人口の約3分の1が死亡してしまいました。ペストが大流行した背景には、十字軍によりヒトやモノの交流が盛んになった結果、商業・貿易が発展し、人々の移動が活発になったという事情があります。
大幅な人口減少に直面した西ヨーロッパでは、生き残った農民の待遇向上の必要性に迫られ、農奴の解放が進んでいきます。それは、封建制度の崩壊を意味しており、その結果、大諸侯・諸侯・騎士が没落する一方で、国王の権力が伸長していったのです。こうして、近代の中央集権国家が誕生することになったというわけです。
統治の分野で支配階層の頂点に立つ国王は、同じ支配階層である大諸侯、諸侯、騎士、つまり貴族たちに領地を与え、その代わりに軍役を課し忠誠を誓わせました。こうした領地を媒介とした主君と家臣の契約により、中世の封建制度は成り立っていました。
彼らの領地を耕したのが、被支配階層である農民(=農奴)です。農奴は貴族から支配・保護される代わりに、賦役・貢納の義務を負っていました。西ヨーロッパの国々では、国王、大諸侯、諸侯、騎士の支配階層が領主となって、被支配階層である農奴を差別し、きわめて不自由な身分にさせていたのです。
しかし、14世紀にペスト(黒死病)が大流行すると、西ヨーロッパの人口の約3分の1が死亡してしまいました。ペストが大流行した背景には、十字軍によりヒトやモノの交流が盛んになった結果、商業・貿易が発展し、人々の移動が活発になったという事情があります。
大幅な人口減少に直面した西ヨーロッパでは、生き残った農民の待遇向上の必要性に迫られ、農奴の解放が進んでいきます。それは、封建制度の崩壊を意味しており、その結果、大諸侯・諸侯・騎士が没落する一方で、国王の権力が伸長していったのです。こうして、近代の中央集権国家が誕生することになったというわけです。
keizaiwoyomu at 16:12│その他