★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

アビイ・ロードのタイトルとジャケット写真(228)

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1 タイトルは決まっていなかった

(1)仮タイトルは「エベレスト」

ビートルズのアルバムの中には、映画の主題歌となった「A Hard Day’s Night」「Help」のように、タイトルが早くから決まっていたものもありました。しかし、「アビイ・ロード」は、レコーディング・セッションが進行していても、ずっと無題のままでした。

リンゴは、こう語っています。「我々は、何週間もかけて「ビリーの左ブーツってのはどうだい?」なんて言ってたよ。するとポールがこう言ったんだ「アビイ・ロードってのはどうかな?」って。」

仮タイトルは、サウンドエンジニアのジェフ・エメリックが吸っていたタバコにちなんで名付けられた「エベレスト」でした。ジャケット写真の中にはエベレスト山のシルエットがあり、ビートルズはその画像を気に入っていました。

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(2)エベレストになど行きたくない

 

レコーディングエンジニアのジョン・カーランダーはこう語っています。「非常に暑かった7月ごろだったが、誰かがジャケット写真を撮影するために、エベレストのふもとに自家用機で飛んで行ってはどうかと提案した。しかし、誰もがみんな早くLPを完成させたいと思っていた。」

「すると、誰が言ったのか覚えていないが「ジャケット写真を撮るためにわざわざヒマラヤまで行きたくないよ。それよりスタジオの外に出て、そこで写真を撮ってLPはそれで終わりにしないか?」それがアルバムのタイトルがアビイ・ロードになったといういきさつについての私の記憶だ。彼らは、チベットまで行って風邪を引きたくなかったからね!」

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そりゃみんながそう思うのも当然でしょうね(笑)ただでさえアルバム作りで消耗しきって、全員がもうたくさんだと思っていましたから。その上、ただジャケット写真を撮影するためだけに、わざわざジェット機に乗ってヒマラヤまで行こうなんて誰も思いませんよ。

最終的にタイトルは、ポールが提案しました。彼はこう語っています。「我々がスタジオにいる間、エンジニアのジェフ・エメリックがいつもエベレストというタバコを吸っていたので、アルバムはエベレストと呼ばれるようになっていた。本当は、そんなタイトルは好きじゃなかったんだけどね。他に何も思いつかなかったんだ。」

「そんなある日、「思いついたぞ!」なんでそう思ったのかわからないけど、アビイ・ロードだ!我々がいるスタジオさ。こいつはいいぞ。それにちょっと修道院っぽく聞こえるしね。」

もし、本当にタイトルがエベレストになって、ジャケット写真にそれが使用されていたら、あのビートルズが横断歩道を渡る有名なジャケット写真は存在しなかったことになります。エベレストの写真ならいくつでもありますから、何のインパクトもありません。つくづくエベレストにならなくて良かったなと思います。

 

2 ジャケット写真の撮影

(1)イアン・マクミランが撮影

アビイ・ロード」のジャケット写真はビートルズのアルバムの中でもユニークで、グループの名前もタイトルも表紙には記載されていません。その写真は、メンバーがEMIスタジオから遠ざかっていくように写っていました。まるで、1962年以来彼らがそこで過ごした何千時間を象徴しているかのような構図です。

写真は、1969年8月8日にフリーランスのプロカメラマン、イアン・マクミランが撮影しました。彼はジョンとヨーコの友人でした。彼の作品としては、この写真も有名ですね。

John Lennon ~

フォトセッションは、午前11時35分に始まりました。マクミランは、アビイ・ロードの真ん中に脚立を置き、警官が車や人の通行を止めている間、ハッセルブラッドカメラを使ってすぐに6枚の写真を撮影しました。彼は、50mmの広角レンズを使い、レンズの絞りであるf値を22、シャッター速度を1/500秒に設定しました。

写真のうち3枚は、ビートルズがスタジオから離れて歩いている姿でした。残り3枚の写真では、彼らは逆に右から左に歩いています。各ショットで歩く順番は変わらず、ジョン、リンゴ、ポール、ジョージでした。

この写真を見てつくづく思うのは「人間の上下関係というのは、生涯変わらないんだな💦」ということです。ジョンがリーダーで先頭を歩き、ジョージが一番歳下で最後尾を歩く。ポールとリンゴの位置は微妙ですが、とりあえず歳上ということでリンゴの方が先に歩いたのでしょう。

まかり間違っても、ポールが先頭を歩くことは絶対になかったでしょう(^_^;)ジョンがそれを許すはずもありませんし、ポールも流石に遠慮したでしょうしね。それにしても、この下の写真じゃ絶対採用されませんよね(笑)

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1枚目から4枚目と6枚目のショットは、メンバーの足並みが揃っていませんでした。マーチングバンドならピタリと揃えられたでしょうが、ビートルズはロックバンドですから、これはしょうがないですよね(^_^;)

しかし、5枚目のショットは完璧で、奇跡的に4人の足並みがピタリと揃っていたので、ポールがこれを採用しました。これが世界中の誰もが一度は見たことのあるあの写真です。

The Beatles - Abbey Road [New Vinyl] 180 Gram, Rmst, Reissue

(2)I saw them walking there

背景には、アメリカ人観光客のポール・コールが警察のバンの隣に立っているところが撮影されています。彼は、アルバムがリリースされてしばらくの間、ビートルズのアルバムカバーに写り込んでいたことを知りませんでした。

コールは、アルバムの発売から数年後にマスコミが見つけ出し、まったく偶然に撮影の背景に写り込んだことを明らかにしました。2004年のデイリーミラーのインタヴューで、彼は、妻が博物館の見学を終えるのを待っている間に通りに立っていたと語りました。

「私は、博物館を見学し終えたので、外に出て何が起こっているのかを見ていただけだ。」と彼は彼女に言ったのを思い出しました。「私は、人々と話すのが好きで、外に出た時に警官があの警察の車の中に座っていた。私は、彼と会話を始めたばかりだったんだ。」

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「ふと見上げると、アヒルの行列みたいに彼らが通りを横切って歩いているのが見えた。私は、変な連中だと思った。その時は、かなり過激に見えたからね。裸足でロンドンを歩き回るなんてことはないからさ。」

あんなに分かりやすいのに、ビートルズだと気がつかなかったとは。まさか、自分が歴史的瞬間に立ち会った「時の人」になるとは夢にも思わなかったでしょう(笑)彼は、その「アヒルの行列」がビートルズだったということをアメリカに帰国して6か月後に知ることになりました。図らずも彼は、帰国して超有名人となりました。

「私の妻は、かつてオルガンを演奏していたんだが、カップルから結婚式でアルバムに収録されている曲を演奏して欲しいとリクエストされていたよ。」

でも、アルバムの中でウエディングソングになりそうなものは「Something」位でしょう。逆に、「The End」だけは絶対になかったでしょうね(笑)

「私は、アルバムの写真を見てすぐに自分が写っていることに気づいた。私は、新しいスポーツジャケットを着ていたんだ、ちょうど、シェルリムのメガネを買ったばかりだった。私は、子どもたちに「虫眼鏡で見れば私が見えるよ。」と言ったよ。」皮肉なことに、彼は、アルバムを一度も聴いたことがなく、一曲も知りませんでした。ビートルズに興味がなかったんですね(^_^;)

彼が本当に「I saw them walking  there」の人物だったか疑問を抱く人もいますが、これだけ詳細に当時の状況と符合する説明ができるのであれば、間違いないでしょう。

道の反対側に駐車されていたフォルクスワーゲンビートルは、1986年にオークションで2,530ポンドで売られ、現在ドイツのヴォルフスブルクにあるオートスタット美術館に展示されています。ここもビートルズの「隠れ聖地」の一つかもしれませんね。車の所有者は、思わぬ大金を手に入れることができました。

 

3 ポール死亡説の一因にも

これもファンにとっては有名な話ですが、このアルバムがリリースされた頃に「公式に発表されていないが、ポールは、本当は死んでいるのではないか?」という噂が世界中を駆け巡りました。このジャケット写真は、その噂が真実であることを裏付ける証拠の一つとされたのです。

ポールは、マクミランが撮影した最初の2ショットではサンダルを履いていましたが、その後、それを脱いで裸足で歩きました。これが、1969年9月頃から始まった「ポール死亡説」の根拠の一つとされました。

ビートルズが歩いた順序が、葬儀を示していると言われました。先頭を歩くジョンは葬儀を取り仕切る司祭として真っ白な服を着ました。葬儀の参列者としてリンゴは黒い服を着ました。ポールは、死んでいるため多くの死体が埋葬された風習に倣って裸足でした。ジョージは、デニムを履いた墓掘人として続きました。ポールは、目を閉じて他のメンバーと左右の脚が逆になっています。

彼は、右手でタバコを持っていましたが、彼が左利きであることはよく知られており、彼の偽物が彼の代わりにいることを示唆しているとされました。

背景のフォルクスワーゲンビートル車は、ナンバープレートがLMW28IFとなっています。LMWは「Linda McCartney weeps(ポールの妻リンダ・マッカートニーが泣いている)」を意味すると解釈され、28IFは、もし、ポールが生きていれば彼が28歳になっていることを指すものとして解釈されました。しかし、1969年にアルバムがリリースされた時点では、彼は27歳だったんですけどね(^_^;)

さらに、ジャケットの裏表紙には、彼の車に同乗していたリタという青いドレスの女性が、車から逃げ出しているシーンが写っているとされました。

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こういった一連の証拠は、ビートルズの他のメンバーが、ポールが死んだことをみんなに知って欲しいという想いを込めた隠れたメッセージだというわけです。こじつけもいいところですが、「都市伝説」とはこういう風に作られるんですね。それにしても、良くこれだけ都合の良い事実を拾い上げたものです。

ただ、ファンやマスコミを責めるのもちょっと酷かもしれません。何しろ、ビートルズは、コンサートを中止して以来、ほとんど公の場に姿を現すことがなく、その動向はベールに包まれていましたから。

彼らの側から情報が提供される機会は極端に少なくなっていました。情報に飢えていた大衆があらぬ噂に飛びついて、それが燎原の火のごとく燃え広がっても仕方なかったともいえます。

さて、次回はいよいよこのアルバムの総括です。

 

(参照文献)THE BEATLES BIBLE, news.com.au

(続く)

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