1 初めて女の子たちから追いかけられた!
フレイザーバラのダリルリンプル・ホールは、小さな会場で観客も少なかったのですが、それでもジョニー・ジェントルの熱狂的なファンの女の子はいました。その中の一人でマーガレットという17歳の女の子は、あらかじめ父親の車を借りて、ジェントルとその彼女をホールでの公演後、彼らがファンの女の子に囲まれる前に車に乗せて、ホテルまで送り届けるという役割を担っていました。
しかし、彼女は、その夜のショーが進むにつれて、ジェントルよりもむしろバックで演奏しているビートルズの方に魅力を感じるようになったのです。この頃の彼らの演奏のレヴェルは、まだまだプロとはいえないものでしたが、それでも敏感なティーンエイジャーには何か感じるものがあったのでしょう。
彼女は、ホールの外の車で待機していました。そこへジェントルが女の子に囲まれて車に飛び込んでくると思って待っていたのです。
確かに、興奮した女の子の集団に追いかけられてきた人物がいましたが、それはジェントルではなくビートルズでした!彼らは、ホールの裏階段を走って降りて、車のシートに飛び乗ってきたのです。おそらくこの時のシーンは、後の映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」のあのシーンを小規模にしたものだったでしょう。
これがビートルズ史上、ファンの女の子たちに追いかけられて車に飛び乗った初めての経験です。どんな気持ちだったんでしょう。「オレたちはスターだ!」って有頂天になってたかな?その数年後、彼らは、イヤというほど女の子たちに追いかけられることになるんですけどね(笑)
2 なぜ追いかけられたのか?
(1)バックバンドに過ぎなかったのに
しかし、考えてみると不思議ですよね。主役は、あくまでジェントルでしたから、彼が追いかけられたのなら分かりますが、バックバンドに過ぎなかったビートルズがなぜ追いかけられたのでしょう?
一つには、彼女たちがティーン・エイジャー独特の鋭い感性を持っていたことが考えられます。これは、いつの時代でも変わらないことで、流行に一番敏感な年頃なんですよね。彼女たちは、本能的に彼らの隠れた才能に感づいていたのかもしれません。
次に考えられる要因としては、毎回かどうかはわからないのですが、ビートルズがジェントルの前座として演奏し、ジョンがリードヴォーカルを3曲ほど務めたことです。演奏の腕はまだまだでしたが、彼のヴォーカルは、もうすでに素晴らしいものがあり、女の子たちたちは、それに魅了されたのかもしれません。
もう一つ、ジョージが着ていた黒のシャツがカッコ良かったようです。ただし、これは彼の衣装があまりにみすぼらしかったので、ジェントルがプレゼントしてくれたんですがね(笑)
(2)ささやかなデート
メンバーは、そのまま車で彼女の自宅を訪れ、楽しいひと時を過ごしました。彼女の両親も暖かく彼らを迎え入れてくれ、彼らはそこでギターやピアノを演奏して喜ばせてくれたのです。
彼女は、ポールのことを気に入り、次の日に会う約束をしました。ただし、デートはしたものの、それ以上に発展することはありませんでした。
一方、ジョンはジョンで、こちらも女の子から声をかけられ、喫茶店でおしゃべりを楽しみました。彼にはリヴァプールにシンシアという恋人がいたんですけどね。彼女は、ジョンがジョニーと名乗っていたと証言しているので、間違いなくジョニー・レノンは存在したんですね(笑)
ジョンもユーモアに溢れた会話で女の子を大いに笑わせ、彼女は、彼の大ファンになりました。しかし、こちらもそれ以上に発展することはなかったのです。
ビートルズは、所持金がないことがステーションホテルにバレて、追い出されてしまいました。しかたなくインバネスまで戻ることになり、ジョンとポールは、それぞれ二人の女の子にサインを残して行きました。このサインも残ってるかなあ〜。
3 リヴァプールに戻ったビートルズ
(1)シルヴァー・ビートルズからビートルズへ
ツアー最後のコンサートは、28日土曜日にピーターヘッドのレスキューホールで開催されました。その翌日、ビートルズはリヴァプールに戻ったのです。
その時のことをポールは、こう語っています。「僕らは、リヴァプールに戻って暫くはバックバンドをやっていた。その時は、まだ「シルバー・ビートルズ」というバンド名だった。「e」が二つ重なるスペルの僕らのポスターが何枚かあったと思うけど、すぐに「シルバー」を落とし始めた。僕らは、本当に要らないと思ったからさ。ジョンは、もはや「ロング・ジョン・シルバー」だったことすら知られたくなかったし、僕もポール・ラモーンと名乗っていたことを知られたくなかった。あれだけが、僕の人生でエキゾチックな瞬間だったよ。」
この頃は、「Silver Beetles」だったんですね。でも、それもイヤになってSilverを外しました。「Beatles」って、シンプルでキャッチーな名前ですが、バンド名からして「オレたちは、他の連中とは違うんだぜ」と主張していた気がします。この頃のバンドは、例えば「〇〇&△△ズ」と名乗るのが普通でしたから。
(2)意外に重要なバンド名
私たちは、もうビートルズという名前を聞き慣れてしまっているので、何の違和感も感じませんが、当時は相当変な名前に聞こえたようですね。
もう一つバンド名を語る上で重要なことは、ほとんどのバンドがワンマンバンドであり、一人のメインヴォーカルを前面に出して、後はそのバックバンドというスタイルを取っていました。ですから、バンド名もそれに合わせたスタイルを取っていました。
しかし、ビートルズは、そういった慣例を破り、メンバー全員が平等という立場を取ったのです。あまりこの点を深く掘り下げた人はいないと思いますが、私は、結構重要なのではないかと思います。誰一人が欠けてもビートルズではない、バンド名は、そんな彼らの固い結束を表していたのではないかと思います。
また、メンバー全員にスポットライトが当たることでファン層が拡大したという重要な側面もありました。バンドの場合、どうしてもメインヴォーカルにスポットライトが当たり、他のメンバーの影が薄くなってしまいがちです。それが原因となって不仲になってしまったバンドも数え切れないほどありました。
ビートルズの場合は、少なくとも前期に限れば4人の結束はとても固く、しっかりまとまっていました。それは、決してジョンがリーダーとしてワンマン振りを発揮していたわけではなく、4人全員が平等なんだという意識が強かったからだと思います。バンドの中でドラマーというのは非常に地味なポジションでしたが、リンゴが人気を博したことで、ドラマーにもスポットライトが当たるようになりました。
4 ジェントルに実力を認められた
(1)コードもロクに弾けなかった
「色んなミュージシャンのバックバンドをやったよ。短い期間だったけど、他のミュージシャンの曲を学ぶのはプロなんだなって実感した。僕らは、コードを弾くのが苦手だったので、なかなか大変だったよ。」
何とこの頃の彼らは、あまりコードをうまく弾けなかったんですね。彼らは、レコードを一生懸命買いあさっていましたが、ギターの教則本とかコードブックのようなものはほとんど買っていなかったと思います。ですから、ギターの弾き方もおそらくレコードを耳コピして自己流で覚えたのでしょう。
「ミュージシャンたちは、僕らに譜面を投げてよこすんだ。それで僕たちは「歌詞を覚えたか?コードを覚えたか?」って、お互いに確認し合った。僕たちはとても純朴だった。アーティストの一人と一緒にいる女性が彼の妻だと思ってたんだ。僕らは、彼女を「ミセス何とか」と呼び続けてたんだけど、彼女が妻ではなくて愛人だったことに気付くまでに何年もかかったよ。」
これは、ジェントルとその愛人のことを指しています。まあ、愛人といっても正式に結婚していなかったというだけで不倫関係だったわけではないのですが、当時は、正式に結婚していない男女が夫婦のように振る舞うことには抵抗があった時代でした。
それでジェントルは、表向き彼女を妻ということにしていたのです。てっきり本当の妻だと思っていたビートルズは、彼女のことをジェントル夫人と呼んでいたんですね。しかし、そういった裏事情を知らなかったのは彼らだけで、他の人たちはみんな知っていました(笑)
(2)ジェントルはビートルズの実力を認めていた
ジェントルは、プロモーターのラリー・パーンズにビートルズの実力を認めたことを話しました。ジェントルは、2回目のスコットランドツアーでバックバンドをやってもらうよう望んでいたのですが、彼らはハンブルク巡業に出かけていたため、彼らの代わりにキャス&カサノヴァズを連れて行きました。
パーンズは、こう語っています。「ジョニーは、本当に毎晩私に電話してきてこう言っていた。「スコットランドに来て、あの連中に会ってくれ。僕は、彼らにスポットが当たるようにしてやったんだ。彼らは、僕より上手くパフォーマンスしていたよ。」彼は、とても正直だった。もし、私がスコットランドに行く時間があれば、彼は、5人目のビートルになっていたかもしれないといつも私は言ってたんだ。誰もそんな話は知らないけどね。」
パーンズはこう語っていますが、私は、ジェントルが5人目のビートルズになれた可能性は、限りなくゼロに近かっただろうと思います。それだけの才能があればおそらくソロ・シンガーとして成功していたはずですから。その点では、以前(172)でご紹介したロイ・ヤングの方がもっと可能性は高かったでしょう。それにパーンズ自身、ビートルズの才能には全く関心がありませんでしたから。もし、関心があれば、必ずオファーしていたはずです。
その一方でジェントルは、もうこの頃すでにビートルズの才能に気付いていたんですね。普通ならプロモーターに自分がもっと売れるように頼むところですが、 演奏もロクにできない荒削りなバックバンドをもっと引き立ててやってくれなんてなかなか言えませんよ。
彼は、プロミュージシャンとして成功はしなかったものの、本当に誠実な人だったんでしょうね。そして、プロになったばかりのビートルズの才能に、一番最初に気付いた大人だったと思います。
ジェントルは、その後、一度だけビートルズと共演しました。1960年7月2日、彼は、ジャカランダにふらっと立ち寄り、ビートルズのマネージャーのアラン・ウィリアムズは、彼らがリスカードのグロヴナー・ボールルームで演奏していると告げました。ジェントルは、そこに行ってステージに上がり、数曲歌ったのです。
やがて彼は、華やかな表舞台から静かに去り、代わりにビートルズがスポットライトを浴びました。実力の世界とはいえ、厳しいものですね。
(参照文献)TUNE IN, scotbeat, The Beatles Bible
(続く)
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