このブログはリバプール編で41回、ロンドン編で314回を数えるまでになったが、リバプールとロンドンを分けて書くことにこだわらないことにしようと思い立ったので、今後は通し番号を付けていくことにする。今回は356番目のブログとなる。
 ニュース記事によれば昨年の9月4日リバプール在住の「ビートルズゆかりの地巡り」のガイドを1982年より担当していた阿部卓二さんが亡くなった。71才だった。葬儀はリバプールで行われ、本人の希望によりリバプールと日本の分骨になった。
 阿部さんがビートルズゆかりの地巡りのガイドになった経緯は運命めいたものを感じる。
 阿部さんは川崎の工業高校機械化卒業後大手鉄鋼メーカーに勤めるが、1年後退社し自分探しのためヨーロッパを漂泊する。パリでセラピストになることをすすめられなぜかリバプールの公立病院に職を得た。
 根が真面目で奮闘努力の甲斐あって、病院の経費で資格を取り精神治療者になった。同じ病院の英国人看護士と結婚し3人の子供にも恵まれた。阿部さんは天職とも言える職業をリバプールで手に入れた。
 日本の偏差値社会から脱出し、リバプールでセラピストをやることによって自分自身を発見し、ハッピーな人生を送ることになった。
 ちょっと前置きの話が長くなってしまったが、ビートルズのガイドになった経緯は次回にまわすことにしよう。

ビートルズ・ファンクラブの雑誌に掲載された阿部卓二さんの訃報を知らせる記事
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阿部さんは司馬遼太郎著「街道をゆく」”愛蘭土紀行Ⅰ”にも登場する。司馬氏は取材で愛蘭土(アイルランド)に渡る際、途中リバプールに立ち寄っている。そこで阿部さんにビートルズゆかりの地を含め市内を案内してもらい、食事を一緒に取りながらあれこれとリバプールで生活するようになった経緯や今の生活ぶりなどを聞いている。


2005年の朝日新聞「ニッポン 人・脈・記 ビートルズの時代」という企画で12回に渡り、ビートルズに実際に関係したり影響を受けた日本人にインタビューをしてその時代の思い出や空気感などを論じてもらうコーナーがあった。その中にも第1回目に阿部さんがペニー・レーンの通りの風景をバックに写真付きで出ていた。
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