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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

過酷を極めたツアー~解散へのLong and Winding Road(277)

onthisday 29 August,1966: Concert at the Candlestick Park, San ...

1 ツアーを止めたことも解散の一因

(1)ファンとの接点が失われた

Pittsburgh Post-Gazette: The Beatles in the 'Burgh, 1964

ビートルズ解散の原因についてお話を続けてきました。私は、ジョージ・ハリスンのアーティストとしての成長が解散の始まりであり、大きな要因だったと考えています。 戦国時代の城攻めに例えれば、外堀から内堀を埋めたような感じでしょうか?それでビートルズという堅城が直接落ちたわけではありませんが、大きな打撃となったことには違いありません。 

そして、もう一つこれもジョージがきっかけですが、ビートルズがツアーを中止したこと」が挙げられると思います。もちろん、ツアーを中止したからといって、それが即解散につながったわけではありません。しかし、ビートルズとファンとの間に大きな隔たりができてしまったことは事実です。 

ビートルズのようなビッグバンドが解散しようとするとき、真っ先に思い浮かぶのはファンが悲しむ姿でしょう。しかし、彼らは、コンサートを中止していたためファンと直接触れ合う機会がほとんどなくなっていて、ファンの悲しみを肌で感じ取る感覚が鈍っていたのかもしれません。 

もし、彼らがコンサートを中止せずに続けていたら、ファンが悲しむ姿を思い浮かべて解散を思いとどまるか、それは無理としても、もう少し先に伸ばしていた可能性はあります。その時は、もっとファンが納得のいく形で、解散を公表したかもしれません。 

(2)コンサートは必須ではなくなった


The Beatles - Paperback Writer

それに、コンサートをやろうと思えば、当然のことながら、メンバーが同じ方向を向いて協力しなければなりません。しかし、スタジオでのレコーディングであれば、メンバーが自分のパートをそれぞれでレコーディングして、後で重ねることもできるわけです。 コンサートでなくても、ファンに自分たちのサウンドを提供することができるといういわば「抜け道」を見つけてしまった彼らに、もはやコンサートは「無用の長物」となってしまいました。

「コンサートの巨大化に機材の性能が追いつかなかった」という点も不運でしたね。プロ野球のスタジアムという何万人も収容できる会場を使えるようになった反面、機材の性能は、とてもそれに耐えられるような代物ではありませんでした。紅蓮の炎を上げて燃え盛る山火事に対し、たった一台の消防車で立ち向かうようなものです。

 

 2 過酷を極めたツアー

(1)EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years

コンサートの時間そのものは、わずか30分という短時間でしたが、それでも長距離を移動し、その間にテレビやラジオ、時には映画に出演し、レコーディングをしながら、ジョンとポールは、作曲も続けていたのです。しかし、誰が考えてもツアーの日程が過密ですよね。マネージャーのブライアン・エプスタインは、なぜこのような無理な日程を組んだのでしょうか? 

ブライアンは、単に彼らのスケジュールを管理するだけでなく、コンサートのブッキングも行っており、1963年だけでも208回(!)のライヴをこなすという過酷なスケジュールを組んでいました。彼は、当時、アメリカのテレビで最も人気のあったヴァラエティ番組であるエドサリヴァン・ショウへの出演を手配し、ビートルズがまだアメリカの一般大衆にはそれほど知られていない存在であったにもかかわらず、彼らを主役の座につけるという条件を飲ませたのです。 

しかし、ブライアンは、ビートルズを売り込んだり、イヴェントを運営することにかけては素晴らしい才能を発揮していましたが、法律や会計などの知識には疎く、その結果、ジョンとポールは、不利な契約書にサインして彼らの楽曲の著作権の殆どを失うことになってしまいました。このことについては、またいずれ詳しくお話しする時が来ると思います。 

(2)多額の税金

さらに、ビートルズは、巨額の税金を負担していました。当時、ビートルズのような高額所得者に適用される税率は98%(!)ととんでもなく高かったのです。 当時のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた高福祉高負担の国家でしたから、累進課税制度で高額所得者の税金はとても高かったのです。それにしても、稼ぎのほとんどを税金で取られてしまうんですから、バカバカしくてやってられませんよね(^_^;)後にジョージが「Taxman(税務署員)」という皮肉たっぷりの曲を制作しましたが、そんな曲を作りたくもなるでしょう。 

つまり、ビートルズが過酷なツアーを続けざるを得なかったのは、楽曲の著作権を自分たちも設立に加わったノーザンソングス社に売却してしまったために印税収入がなかったことと、イギリスの税金がとんでもなく高く、稼ぎのほとんどを持って行かれたことが原因でした。コンサートを詰め込んでそれに支払われるギャラで穴埋めするしかなかったのです。これがそもそものビートルズの不幸の始まりであり、後の解散へと続く「The Long and Winding Road」への第一歩でした。 

1965年にビートルズの2作目の映画「ヘルプ!」が制作されたとき、バハマでのロケが予定されていましたが、そこでビートルズと映画のプロデューサーによって節税対策のための会社が設立されました。この構想は、映画から得られた収入を英国の所得税から退避させ、「Cavalcade Productions」と名付けられたペーパーカンパニーに支払うというものでした。具体的にどれだけの金額が支払われたのかは分かりませんが、相当な節税にはなったはずです。

 

3 1966年にはツアーが負担に


The Beatles live in Shea Stadium. Help♪

多くのアーティストにとって、ライヴで演奏することは仕事の中でも最高に楽しい瞬間ですが、一方でツアーは過酷なものでもあります。最近では、ベテランのバンドは、体力的にもきついので、様々な工夫をして精神的・肉体的負担を緩和しています。 

しかし、ビートルズがツアーをやっていた頃は、ミュージシャンに対してそのような優しい配慮は一切ありませんでした。下積みのアーリー・ビートルズ時代のライヴも過酷なものでしたが、ブレイクして人気絶頂となってからは、より一層過酷を極めました。 

1966年4月からビートルズは、アルバム「Revolver」のレコーディングを始めていて、スタジオでの編集作業に強い関心を抱いていました。それと反比例するかのようにライヴへの情熱が失われていったのです。スタジオでは新しい機材の導入や様々なテクニックが開発されたことにより、レアなサウンドを編集により自由自在に変えることができるようになって、彼らは、そのことに新たな喜びを見つけていました。 

しかし、スタジオでの機材が整備されても、ステージ上の機材は貧弱なままでした。1965年8月にはアメリカのシェイ・スタジアムで、初めてプロ野球のスタジアムという何万人も収容できる巨大なステージを作ることができたのですが、その観客が一斉に絶叫し、ジェットエンジンのそばにいるような轟音でサウンドがかき消されてしまいました。観客の耳には、彼らの演奏は一切届いていなかったんです。これでは、コンサートをやる意味がありません💦 

ジョンやジョージは、もうこんなコンサートに嫌気がさしていて止めたがっていたのですが、ポールだけが最後まで反対していました。ポールが後に「ビートルズ・アンソロジー」の中で振り返っているように、メンバーの間ではしばらくの間、特にジョージやジョンから、ツアーを止めようという話が出ていましたが、彼は、ずっとライヴパフォーマンスを続ける必要があると主張していました。「僕たちはツアーをする必要があるし、ミュージシャンは演奏する必要がある。音楽は、ライヴでやるべきだと言いたかったんだ。」 

しかし、そのポールでさえも、コンサートを止めようと決意させる深刻な事件が立て続けに起きたのです。

 

4 地獄のフィリピン・ツアー

When the Beatles Snubbed Philippines First Lady Imelda Marcos

ビートルズのマニラ公演は、アジア2カ国ツアーの最後の締めくくりとして行われ、彼らが北米以外で行う最後のライヴとなりました。まず、ビートルズは、東京の日本武道館で公演を行いました。台風の影響で飛行機の到着が遅れてロクに睡眠も取れなかったり、右翼の抗議デモや脅迫文が送られるなどのトラブルもありましたが、ビートルズは「日本での時間は楽しかった」と公言していました。 

これは、決してリップサービスではなく本音だったと思います。行儀のよい日本の観客は、ちゃんと彼らの演奏を聴いてくれましたからね。ステージのサウンドが観客席の後ろまで届いたのは久しぶりでした。惜しむらくは、彼らがホテルに軟禁状態で外出できなかったことです💦(ジョンは、ほんのちょっとの間だけ骨董品屋へリアル脱出しましたが(笑))せめてゆっくり温泉に浸かり、観光名所を散策してもらえれば良かったのですが。 

 

(参照文献)Esquire

(続く)

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