★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

Yoko Ono-ing(オノ・ヨーコする)ってどゆこと?(292)

File:John Lennon en zijn echtgenote Yoko Ono op huwelijksreis in Amsterdam.  John Lenn, Bestanddeelnr 922-2305.jpg - Wikimedia Commons

1 解散を語る上で避けて通れない

これまでビートルズ解散の原因について考察してきました。そうすると、ジョン・レノンオノ・ヨーコの出会い」について触れないわけにはいきませんね。薬物問題と同じくこれもセンシティヴな問題ですが、これ抜きに解散は語れません。

解散当時、オノ・ヨーコは、「ジョン・レノンをたぶらかしてビートルズに対する関心を薄れさせ、解散に追い込んだ。」とファンやマスコミから猛烈なバッシングを受けました。解散から50年が経った2020年においても、ファンにアンケート調査すれば、彼女を解散の原因に挙げる人が一番多いかもしれません。

未だにこのことを巡って、ファン同士がヒートアップするのは世界共通です。この辺り一帯には地雷が山ほど埋設されていて、うっかり踏むとドカンといきます💦「君子危うきに近寄らず」といきたいところですが、そういうわけにもいきません。

 

2 事あるごとに引き合いに出される

(1)ワン・ダイレクションのゼイン・マリクの脱退

Why Zayn Malik Decided to Quit One Direction | Glamour

流石にこのことに直接言及する人は減りましたが、何かの折にはひょいと顔を出すんですね。例えば、2010年に結成されたイギリスのボーイズ・バンドであるワン・ダイレクションは、デビュー・アルバムがいきなり全米チャート1位、全英2位と大成功を収めたのを皮切りに、2015年まで毎年リリースしたアルバムは、いずれもほぼ全米・全英で1位を獲得し、「ビートルズの再来」とも呼ばれたほどの世界的な成功を収めました。そして、2015年2月、グループとして4度目となり、2度目の全公演スタジアム開催となるツアーをスタートさせました。

しかし、ツアー開始から2か月も経たない3月25日に、メンバーのゼイン・マリクが突然グループを脱退すると発表したのです。これは、世界中のファンに衝撃を与えました。何しろ人気絶頂の時でしたからね。彼の脱退した理由が婚約者のペリー・エドワーズにあると報道されたため、ファンが激怒し、彼女に対して猛烈なバッシングを始めたのです。

(2)ペリーは現代のオノ・ヨーコ

Little Mix Brasil ❤ no Instagram: “OMG PERRIE LOUISE EDWARDS😍😍😍😍#littlemix  🔥❤❤😍#littlemixth… | Little mix perrie edwards, Perrie edwards, Perrie  edwards style

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ペリー・エドワーズオノ・ヨーコになぞらえたツイート

あるファンは、ツイッターエドワーズを激しく非難し、「Perrie's the modern day Yoko Ono ... I can't believe this.(ペリーは現代のオノ・ヨーコだ…信じられない)」と投稿しました。他のファンのツイートでも「PERRIE EDWARDS IS THE YOKO ONO OF ONE DIRECTION.(ペリー・エドワーズは、ワン・ダイレクションのオノ・ヨーコだ)」などといった投稿が相次いだのです。

私は、このニュースを聞いた時、ビートルズの解散から45年も経っているのに、未だにこんな形でヨーコが引き合いに出されることに驚きを覚えました。ワン・ダイレクションのファンですから、10代~20代の女性が中心だったと思いますが、彼女たちは、ビートルズを知らない世代であるにもかかわらず、「オノ・ヨーコビートルズを解散させた」と思い込んでいるんですね。「いや、君たち、そもそもヨーコが誰か知らないだろ?」とツッコミたくなりますが。

「これじゃあ、まるでアメリカ人にとってのパールハーバーだな(^_^;)」と、私は、苦笑せざるを得ませんでした。イギリス人にとっては、消したくても消せないトラウマとして残っているのかもしれません。

3 Yoko Ono-ing(オノ・ヨーコする)

(1)俗語として存在する

さらに驚くべきことに英語に「Yoko Ono-ing」という俗語があるんです。日本語に直訳すれば「オノ・ヨーコする」といった感じでしょうか。これは、「サークル・クラッシャー」、つまり、「仲の良いグループを引き裂く人の行動」というような意味です。「おい、ジョンのやつ、最近オレたちと付き合わなくなったな。」「あいつ、恋人のスージーオノ・ヨーコするようになってから、オレたちとは付き合わなくなったんだ。」という風に使います。もちろん俗語ですから、普通の辞書には掲載されていません。

ただ、英語圏の何人かの人にこんな言葉を普段使っているのかと聞いたところ、誰一人として知っている人はいませんでした。この人たちが知らないだけなのかは分からないんですが、ツイッターに投稿はあったものの、それほど普及しているようではなさそうです。欧米のマスメディアでは取り上げられていましたけどね。

(2)ヘンリー王子の王室からの脱退の時も

It looks like Prince Harry and Meghan Markle might be becoming royal  Godparents | Marie Claire

2019年には、イギリスのヘンリー王子が王室からの脱退を宣言して全世界を驚かせましたが、それにメーガン妃が深く関与したと騒がれました。「Meghan is the Yoko Ono of the Royal Family」(メーガン妃はイギリス王室のオノ・ヨーコである)」「Harry and Megan the New's John&Yoko's...」(ヘンリー王子とメーガン妃は新たなジョンとヨーコ......)などといったツイートが投稿されたのです。

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私は、「歴史は繰り返す…か。」と嘆息しました。この様子では、著名人が女性と交際したり結婚したりして所属していたグループを離脱し、そのことがグループの支持者にとって望ましくない場合、毎回引き合いに出されることになります。一般の市民の間にあまり普及していなさそうなのが幸いですが、半世紀も前の話が事あるごとに引き合いに出されるのは、正直あまりいい気がしないというか「未だにそう思われているんだ…💦」とちょっと悲しくなります( ノД`)まあ、ヨーコ自身は、歯牙にもかけていないでしょうが。

 

4 いつどこで出会ったのか?

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未完成の絵画とオブジェ インディカギャラリー 1966年

オノ・ヨーコほどロックの歴史で物議を醸している人物はいないでしょう。何十年もの間、ファンや批評家は、ジョンへの彼女の影響の程度について分析し、ビートルズの解散における彼女の役割について議論してきました。そのため、彼らの最初の出会いというたった一つのエピソードさえ、不確実な情報が流れて研究者たちが悩まされているのは当然のことです。

ヨーコは、日本で生まれ、50年代にニューヨークの大学に通い、実験芸術に興味を持つようになりました。彼女は、60年代にジョンと出会う前に、アメリカのジャズミュージシャンであるアンソニー・コックスと2度目の結婚をし、1963年に娘のキョーコ・チャン・コックスを生みました。ヨーコによれば、コックスと彼女の関係は悪化していました。彼らは、結婚を継続していましたが、彼女は、前衛的なアートワークに集中できるよう、幼いキョーコの育児を夫に任せました。ヨーコは、アートコミュニティに参加し、60年代半ばにロンドンにやって来ました。

一方、ジョンは、地球上で最も有名なロックバンドのメンバーでした。彼は、息子のジュリアン(同じく1963年生まれ)を出産したシンシアと結婚しました。ビートルズは、最もクリエイティヴな時代の真っ只中にあり、スタジオ・レコーディングでさらに実験的な取組みに没頭するようになり、ライヴ・パフォーマンスを止めました。ビートルズが、アイドルからアーティストへと変貌を遂げた時期に二人は出会ったのです。

 

5 二人の出会いに関する「公式な」情報

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インディカギャラリーのヨーコ

ジョンとヨーコがインタヴュアーに対して、二人が初めて会った日について語った話から始めましょう。1966年の秋、ヨーコは、メイフェアのインディカギャラリーと書店が主催する美術展「未完成の絵画とオブジェ」のためにロンドンにいました。

ギャラリーは、美術商のジョン・ダンバー(当時はマリアンヌ・フェイスフルの夫)、ミュージシャンのピーター・アッシャー(ピーター&ゴードンというデュオ・ミュージシャンの一人で、ポール・マッカートニーの恋人だったジェーン・アッシャーの兄)、作家のバリー・マイルズ(ビートルズやその他の有名なロッカーに関する本を執筆)が共同所有していました。面白いことにポール・マッカートニーは、1年前にオープンしたばかりのインディカの主要な支援者の一人でした。そこで、ジョンとヨーコが出会ったとは何とも皮肉な巡り合わせです。

ダンバーは、ヨーコの個展が始まる前日にヨーコの作品を見せようと、友人のジョンをギャラリーに招待しました。その個展は、11月8日から10日まで開催されたのですが、いくつかの記録ではジョンが9日に訪れたと記載しています。しかし、どうやらこれは彼の記憶違いのようで、個展の前日ということですから正しくは7日ということになります。

 

 

(参照文献)アルティメット・クラシック・ロック

(続く)

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