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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョン、ヨーコに強く惹かれる(293)

John Lennon and Yoko Ono Movie Underway

1 Yoko-ingは慣用句になっている

前回の記事を読んだ方から「ヨーコする」という言葉は、アメリカでは「男をダメにする」という意味の慣用句として若者でも普通に使っているとのコメントがありました。もう語源などは関係なく定着しているようですね。

私は、記事に掲載する前に英語圏の人々に質問したのですが、知っている人は誰もいなかったので、ごく一部で使われているだけなのかと思っていました。これとは対称的にイギリスでは使われていないようで、これも面白い現象ですね。

2 ヨーコのどこに魅力を感じたのか?

(1)不幸だった幼少期のジョン

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少年時代のジョンと実母のジュリア

さて、ジョンとヨーコの関係は急速に進展しました。ジョンは、なぜヨーコに魅力を感じたのでしょうか?彼は、幼少期に実母から引き離され、叔母の下で育てられたという経験がありました。実母のジュリアは、当時としてはかなり自由奔放な女性で、良妻賢母とは程遠い人でした。

そんな実母のジュリアとは対照的だった叔母のミミは、しっかり者でジョンを厳しく育てました。この二人の女性は、彼の人格形成に計り知れない影響を与えました。さらに、ジュリアがジョンの青年期に交通事故でこの世を去るという不幸な出来事が重なったことが、彼の女性に対する見方を決定づけたといえます。

 

(2)強い女性を求めていた?

Royal Albert Hall lifts 1967 ban on Yoko Ono's naked Bottoms movie

ジョンは、生涯を通じて「強い女性」を求めていたようです。しかし、意外なことに彼が学生時代にガールフレンドに選んだのはシンシア・パウエルでした。やがて二人は結婚しましたが、彼女は、正に絵に描いたような良妻賢母であり、家事や育児に専念してジョンの仕事には一切口出ししませんでした。

彼が平凡な結婚生活に不満を抱き始めていたことは、女性ジャーナリストのモーリーン・クリーヴからのインタヴューでも明らかでした。このことについては、過去の記事(285)でも触れましたが、それは、彼がアイドルからアーティストへと変貌を遂げた時期と重なります。

もっと彼に強烈なインスピレーションを与えてくれる存在を妻に求めていたのでしょうが、それはシンシアにはないものでした。もちろん、彼女には何の罪もありません。むしろ、一般女性としては破天荒なジョンによくついていったと思います。耐え切れずに彼女の方から離婚を申し出てもおかしくなかったでしょう。

そこへ登場したのがヨーコでした。彼女の強烈な個性と才能は、正にジョンが求めていたものだったのです。

3 ジョンのどこに魅力を感じたのか?

逆にヨーコは、ジョンのどこに魅力を感じたのでしょうか?彼女は、前衛芸術家であり、アメリカを中心に活躍をしていました。彼女がジョンと出会わなければ、「60年代に登場した女性前衛芸術家」として人々の記憶に残っていたかもしれません。しかし、ジョンというとてつもないインフルエンサーを通じて、全世界へ愛と平和というメッセージを届けることが可能になりました。

彼女が触媒となって、ジョンの心の奥底でまだ発掘されていなかった鉱脈から、黄金やダイヤモンドが掘り出されたのです。彼の作風は、初期のラヴソングから、ボブ・ディランの影響を受けた内省的な歌詞、さらに薬物使用によるインスピレーションからサイケデリックな作品へと変化し、やがて愛と平和のメッセージを世界中に発信することになりました。ヨーコは、当時としては、エキセントリックで革新的な彼女の活動を理解し、共感してくれた数少ない男性であるジョンに惹かれたのではないでしょうか?

 

4 ヨーコこそすべて

(1)ヨーコ以外は眼中になくなった

John Lennon, Yoko Ono, Bed-In For Peace, Montreal, Canada 1969 | Stephen  Sammons

「私の昔の仲間だけど、それはもう終わったんだ。ヨーコと出会った時は、初めての女性と出会ったようなもので、仲間の男たちをバーに置き去りにして、サッカーをしに行くでもなく、スヌーカーやビリヤードをしに行くのでもない。男の中には毎週金曜日の夜にやってきて、男同士の関係を続けるのが好きな人もいるのかもしれないが、私が彼女と出会ってからは、男友達とは昔からの友人のようにしか興味を示さなくなった。」

「『やあ、元気かい?奥さんは元気かい?』そんな感じだ。こんな歌を知ってるだろ?『結婚の鐘がオレの古い仲間を壊す。』まあ、ヨーコに会った時が何歳であっても、そのことにはピンとこなかったんだけどね。出会ったのは1966年だったが、その時はそれほど衝撃を受けたわけじゃなかった...結婚したのは68年だったかな?それは、すべてを一つのとんでもない映画に溶け込ませたんだ。」

「それはともかく... 彼女に会った瞬間に昔の仲間はいなくなった。意識してはいなかったが、そうなっていたんだ。彼女と出会った途端に男としての遊びは終わってしまったんだが、たまたまその男は知名度が高く、ただの地元のバーの男じゃなかったのさ。」*1

男性が女性と交際し始めたり、結婚したりすると二つのタイプに分かれますね。家庭生活が中心になって男性の友達とは疎遠になる人と、結婚するまでと同じように付き合いを続ける人と。ジョンは、前者のタイプでした。彼にとっては、ヨーコが全てになったのです。

(2)展覧会に興味を抱いた

Yoko Ono first met John Lennon in 1966 during a preview of Ono's art  exhibition at a London gallery. The began an affair a y… | Yoko, Yoko ono, John  lennon yoko ono

「マリアンヌ・フェイスフルと結婚していたジョン・ダンバーがロンドンにインディカというアートギャラリーを持っていた。私は、レコードの合間のオフの日にギャラリーを回ったり、無名のアーティストやアンダーグラウンド・アーティストを紹介するギャラリーの展覧会をいくつか見て回ったりしていた。」

「その次の週に、ある素晴らしい女性が黒い袋の中に入った展覧会をやるという情報を得たんだけど、それがちょっとしたハプニングになりそうだったんだ。それで、開演前夜にプレヴューに行った。中に入ると、彼女は、私がどこの誰だか何も知らなかったんだ。私は、展示場をぶらぶら歩いていた。ギャラリーには、お手伝いをしていたアート系の学生が何人かいて、そこら中に寝転がっていて、それを見てビックリしたんだ。」

「そこでは林檎が200ポンドで売られていて、素晴らしいと思った。前衛芸術やアンダーグラウンドアートについての知識がなくても、そのユーモアにすぐに惹かれた。スタンドの上に新鮮なリンゴが置かれていて…これはアップル(ビートルズが設立した会社)以前の話だけど…リンゴが腐るのを見るのに200ポンドもしたんだ。」

 

5 ジョンのハートを射抜いた作品

(1)個展「未完成の絵画とオブジェ」

Yoko Ono on Twitter: "When I created CEILING PAINTING (1966), I was  depressed at the time. So I wanted to give some positivity to my life.… "

「でも、私がそのアーティストに対して反感を抱くか、共感するかを決定した別の作品があった。天井に吊るされた絵画へと続く脚立が置いてあった。それは黒いキャンヴァスのようなもので、鎖がついていて、その先には虫眼鏡がぶら下がっていた。これは、中に入った時にドアの近くにあった。脚立を登って虫眼鏡を覗くと小さな文字で「イエス」と書かれていた。そう、それはポジティヴな言葉だったんだ。ホッとしたよ。「ノー」とか「くたばれ」とかではなく、「イエス」と書かれていてとても安心したんだ。」*2

これは「天井の絵/イエス(YES)・ペインティング」という作品でした。毅然としたポジティヴさとエレガントなシンプルさ、そのユーモラスで知的なひねりを加えたセンスは、観覧者を優しく参加者に変えていきました。脚立とその付属品は作品の始まりに過ぎず、その完成は鑑賞者の心の中にあり、その小さくも力強いメッセージの意味を考えながら鑑賞するのです。*3

(2)時代背景

Notable & Quotable: The '60s and the '10s - WSJ

この作品を理解するには、1960年代という時代背景を考慮する必要があるかもしれません。第二次世界大戦が終わって20年が経ち、ようやく世界は平和を取り戻したものの、それと同時に人々が国家権力の抑圧から解放され、自由に行動し、自己主張できるようになったのです。

そのため、社会問題、政治問題や国際問題が顕在化し、世界各地でデモや労働争議などが頻発した荒れた時代でもあったのです。東西冷戦の激化、迫りくる核戦争の恐怖やヴェトナム戦争の泥沼化などが人々を不安に陥れ、政治や労働環境に対する不満が噴出しました。街頭で警官隊とデモ隊が衝突し、暴動や逮捕が繰り返されるというのは日常茶飯時でした。

そんな中で、ヨーコは、前向きに生きるというメッセージを鑑賞者に投げかけたのです。そして、もう一つ重要なことは、鑑賞者がただ作品を鑑賞するだけではなく、自分で脚立に登り、虫眼鏡を使って小さな文字を見るという参加型の作品だったということです。

今ではアトラクションで鑑賞者が作品に参加するのは自然なことのようになっていますが、この当時は、アートといえばただ鑑賞するだけで、鑑賞者がそこに参加するという発想は珍しいものでした。そういった意味で、非常に革新的だったと思います。

ジョン・レノンにとってその「イエス」は、ヨーコにからの個人的なメッセージであり、数多くあるキューピッドの矢の中でも最も予想しえなかったものでした。他方でこの展覧会の主催者から見れば、その作品は、彼女の作品全体の決然としたポジティヴさを象徴していたといえるでしょう。*4

 

(参照文献)アルティメット・クラシック・ロック、ザ・ビートルズ・バイブル

(続く)

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*1:ジョン・レノン オール・ウィー・アー・セイイング デイヴィッド・シェフ

*2:ジョン・レノン オール・ウィー・アー・セイイング デイヴィッド・シェフ

*3:ジャパンタイムズ

*4:ジャパンタイムズ