★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョンはジャーナリストに脱退を打ち明けていた!(333)

Colour Archives - Linda McCartney

1 リンゴも解散は全く考えていなかった

(1)2019年に証言

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リンゴは、2019年10月に行われたBBC6の放送で、ビートルズが70年代までレコーディングを続けようとしていたと断言しました。アビイ・ロードを作り上げて、『よし、なかなか良い出来じゃないか。』とは思ったけど、『よし、これで一緒に演奏するのは最後だ。』なんて誰も言わなかった。私は、そんなことは感じなかったよ。」

「このレコードを作ってから、我々は、自分たちのやりたいことをやっていた。そして、ポールが僕らに電話してきて、『なあ、みんな、スタジオに行きたいかい?』と言い、我々は、次のレコードを作るんだろうと思っていた。だから、これで終わりというわけじゃなかったんだ。」

(2)「The End」の意味

www.youtube.com

そして、彼は、アビイ・ロードに収録された「The End」の歌詞の一節を引用しました。「なぜなら、『最後になって振り返ってみれば、君が愛した分だけ君が愛されていたんだって気づくと思うよ。』ということだからさ。だから、『the end of the band(バンドの終わり)』がはっきりしているとは思わなかった。」*1

つまり、彼によれば「The End」は、「最後になって振り返ってみれば」と言っているだけで、それがバンドの終わりを意味するものではなかったというわけです。

このリンゴの証言を聞いても、「ビートルズは、アビイ・ロードをラストアルバムにするつもりだった。」とか「『The End』は、彼らの最後の曲というメッセージだ。」などという話が都市伝説に過ぎないことが分かります。しかし、未だに世界中の多くの人がこれを信じ込んでいるんですね。

リンゴのこの発言は、それまで定説のように唱えられていた「ビートルズは『アビイ・ロード』をラストアルバムにするつもりだった。」という見解を完全に否定したものです。「人は、想い出を美化しがちだ。」とよく言われますが、アビイ・ロードに関しても、それがあまりにも素晴らしいアルバムであるがゆえに、ビートルズが解散直前にそれを最後の作品にするつもりで制作したと思いたいという気持ちが、いつのまにかそうであったという事実にすり替わってしまったという感があります。   もちろん、リンゴは、ジョンの脱退の意思を直接聞いていましたから、近い将来ビートルズが解散するであろうことは予想はしていました。しかし、それは、まだもう少し先のことだろうと考えていたのです。何しろ、キャピトルレコードと契約したばかりでしたからね。

 

2 箝口令が敷かれた

(1)メンバーは固く口を閉ざした

Paul McCartney 1969 near Abbey Road studios

会議が終わってしばらく経ってから、ジョンの脱退宣言を聞いたポールは当然のことながら絶望し、リンゴはこれからどうなるんだろうと思いました。ジョンとヨーコは、アスコット近くの自宅に帰りました。リヴァプールから戻ってきたジョージは、このニュースを聞いて、これでソロ活動に専念できると喜んだといわれています。彼の計算よりは大分早くなりはしましたが。

この時以来、ビートルズのメンバーは口を固く閉ざし、公の場では何事もなかったかのように振る舞っていました。こんなことが外部に漏れたら、世界全体が大騒ぎになってしまいます。それが彼らの今後の活動に大きな支障をきたすであろうことは、彼ら自身もよく分かっていましたから。

(2)ビートルズの異変に周囲が気付き始めた

アビイ・ロード」がリリースされると、たちまちアルバムチャートのトップに立ち、続いてニューシングル「Something」がリリースされました。B面にはジョンの「Come Together」が収録されており、両面とも世界的なヒットとなりました。

このように表面的にはすべてが順調でしたが、それから数週間が経つと、ビートルズ・ウォッチャーたちは小さな変化に気づき始めていました。長年、ビートルズを取材し、彼らについて記事を書き続けてきたイヴニング・スタンダード紙の記者だったレイ・コノリーもその一人でした。

 

3 レイ・コノリーの証言

(1)ポール・マッカートニー死亡説

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イヴニング・スタンダードの記者だったレイ・コノリー

以下は、コノリーの回想です。

「ポールは、ニューアルバムの宣伝活動をした後、私には解散に関して何らのヒントも与えなかったが、いつもは気さくに話す彼が、アップル社にほとんど姿を見せなくなった。その間に、アメリカでは『ポールは死んでいる。』という噂が流れた。」

「シカゴのラジオ局から私のところに夜中に電話がかかってきて、彼が生きているかどうか確認してほしいと言われたよ。『先週見たときには生きていたよ。』と私はリスナーに伝えた。」彼にしてみれば「ポールはピンピンしているのに、何をバカなことでアメリカ人は大騒ぎしているんだ?」と不思議に思っていたんでしょうね(笑)

こういう噂が経ってしまったのも無理からぬところがあって、ビートルズ自身がコンサートを一切止めてしまっていましたし、メンバーも公の場に登場する事が少なくなっていました。特にポールは、ジョンの脱退宣言を聞いてから自宅に引きこもることが多くなり、公の場に姿を見せることがめっきり減っていたのです。枯草にちょっと火がついて、大きな山火事になってしまったというところでしょうか。

(2)「ビートルズが死んだ日」

JOHN LENNON. GIMME SOME TRUTH. THE ULTIMATE MIXES.

「当時、ジョンとヨーコは、自分たちを宣伝しようと世界中を飛び回っており、1969年11月にはジョンがMBE勲章を女王に返還した。もしかして、最もこだわりの強いアメリカのファンは、直感的に何かを感じ取っていたのかもしれない。ポールは生きていたし、『アビイ・ロード』は、多くの人が彼らの最高傑作だと考えていたが、もしかしたら、(ポールの代わりに)何か別のものが死んでしまっていたのかもしれない。」

表面的にはビートルズは絶好調で、まだまだこれからも活動を続けていくように見えていたものの、熱心なファンの一部は、既に彼らの異変に気付いていたかもしれないということです。コノリーは、ビートルズとは長い付き合いでしたから、彼らのわずかな変化を敏感に感じ取ったのでしょう。

「このことを念頭に置いて、私は、1969年11月末にロンドンのイヴニング・スタンダード紙『ビートルズが死んだ日』という見出しで状況を説明する記事を書いた。この記事では、彼らがグループとして一緒に演奏することはほとんどなく、レコーディング・スタジオでも演奏しないという事実を取り上げた。」

「この新聞が発行されたとき、私はビートルズの顧問弁護士から手紙が来るのではないかと少しばかり期待していたが、翌日、私のデスクに一輪の白いバラが届けられた。『ジョンとヨーコから愛を込めてレイへ』というメッセージカードが添えられていた。その日から、私は、ビートルズの組織の中にジョン・レノンという自分のスパイを持つことになったのである。」

「根も葉もないことを書くな。直ちに記事を撤回しろ。」といった抗議文がビートルズの顧問弁護士から送られて来るかもしれないと待ち構えていたら、それどころか、むしろジョンからその記事を肯定するかのようなリアクションがあったのです。ジョンがポールとアラン・クラインに対してビートルズを脱退する意思を告げた時、彼らは、そのことを口外しないようにジョンに依頼し、彼もそれを了承しました。しかし、実は明言は避けたものの、コノリーにはこっそりと匂わせていたのです。

彼にしてみれば、本当は街に出ていって「オレは、ビートルズを脱退する!」と大声で叫びたかったのでしょう。もはや彼にとってビートルズは、「格子なき牢獄」以外の何物でもなかったのです。そうする代わりにコノリーにこっそり打ち明けることで、ストレスを解消していたのかもしれません。

 

4 ジョンがビートルズ脱退を打ち明けた!

「そして、クリスマス前にジョンとヨーコは、私をトロントに誘ってくれた。」これはジョンが参加したトロントのロックンロールリヴァイヴァルというロックフェスティヴァルのことですね。「『Bed In』や『Give Peace A Chance』というレコードで始まった『War Is Over』という平和運動を展開していたのだ。」

「そこでジョンは、私に重大な秘密を打ち明けることにした。私を彼とヨーコの寝室に招き入れた彼は、ドアを閉めると、『オレは、ビートルズを脱退した。』と言った。そして、彼は笑ったのだ。」なんとジョンは、脱退のことを口外しないと約束していたにもかかわらず、こともあろうにジャーナリストにばらしてしまったのです!

「私は、言葉を失った。すべての兆候はあったが、私は驚き、そして、正直に言うと、ショックを受けた。私は、誰よりもビートルズの大ファンだった。彼らに解散してほしくはなかった。」

コノリーは、ビートルズ解散の予兆をうっすら感じ取ってそれに関する記事は書いたものの、こうまで面と向かってはっきり打ち明けられるとは予想しておらず、大変なショックを受けました。それはそうでしょう。ビートルズが解散したという歴史的事実は、今となっては誰もが知っていますが、この時はまだそんなことを予想する人はほとんどいませんでしたから。

「しかし、ジャーナリストとしては、これは自分のキャリアの中で最大のスクープだと認識していた。しかし、ジョンは、まだ話し終えていなかった。『まだ誰にも言うなよ。公表できるようになったら知らせるから。』と付け加えた。さすがにジョンもこの時点で記事にされてはまずいので、口止めすることを忘れなかったのです。

(参照文献)BBCニュース、デイリーメール

(続く)

 

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*1:リンゴ・スター「BBC6ミュージックニュース」マット・エバリット