ふしぎブログ

指圧師・ライター斎藤充博の日記

「笑ってはいけない」中学校の頃の話

人生の振り返りエッセイを書いてみようかなと思う。初回は中学生の頃の話。

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僕の住んでいたところは栃木県の塩谷町というものすごい田舎で、文化の香りが何もないところだった。

家から一番近い本屋に行くのに自転車を30分こぐ。レンタルビデオ屋は親に車で連れて行ってもらわないといけない。

ただ、中学校の近くには駄菓子屋があって、そこにはじゃっかんのビデオゲーム「ヴァンパイアハンター」があった。今思えばこれは文化だったのかもしれないな……。とにかく、そういうレベル感の田舎を想像してもらえればありがたい。

もちろん今のようにケータイもスマホもない。したがって自分たちで遊びを考えていた。

僕たちが考えた遊びの中で一番すごいやつは「囲み」という。「囲み」をやるのはいつもの5~6人のグループである。

「囲み」のルールは2つ。「教室の隅で輪になる」、「笑ったやつは、輪になっている全員から全力でしっぺを受ける」というものである。

このルールから導き出されるムーブはなにか?「輪の中のやつを笑わせる」というものだ。自分が笑ってしまう前に、相手を笑わせて、全員からしっぺを喰らわす。そういう遊びである。

「囲み」の最初は、ダジャレとか、ヘンな顔から始まったと思う。こんなのでもけっこう笑ってしまう。人は「笑うな」と言われると笑ってしまうのだ。

しかしこの遊びを毎日行うことにより、僕たちのネタは次第に過激に、次第に洗練されていった。その中でも忘れられないネタがある。「タモリ」というネタだ。

自分の制服のワイシャツのボタンをゆっくりと、上から一つずつ外してゆく。次第に半裸になるわけだが、肌に「とても上手に描けているタモリの似顔絵」が貼り付けられているのだ。

「裸になって笑わそうとしているのかな?」と一瞬思わせておいて、タモリが出てくるのがミソなんだろう。あれはすごかった。

もう一つすごいやつもあった。「傘がない」というネタである。これは井上陽水の「傘がない」を歌いながら黒板に設置してある丸形磁石をゆっくりと笑わせるターゲットの鼻先に近づけてゆく、というもの。

なにがおもしろいのか、一切説明ができないのだが、ものすごい迫力がある。これをやられてしまうと必ず笑ってしまうのであった。

僕はネタの創造性に乏しかったのだが、必殺技があった。「笑いをこらえたままの表情でターゲットの顔に顔を近づける」というものである。

人が笑いをこらえている顔というのは意外と笑える。僕はこの技を「カウンター」(笑いの攻撃を受けて返すため)と呼んで多用していた。

「囲み」におけるしっぺは無慈悲そのものであった。5~6人のそれぞれが、「いかに相手に強大なダメージを与えるか」を研究し尽くした全力のしっぺを繰り出す。

笑った瞬間に、全員からのしっぺが確定するわけで、下手をすると10分間の小休みの間に50発以上のしっぺをうけることもめずらしくない。

たぶんみんな「研究し尽くされた全力のしっぺ」というものを体験したことはないだろう。

しっぺを受けた腕はいともたやすくミミズ腫れになる。そんな状態でも「囲み」のメンバーたちはしっぺの手をゆるめることはない。

むしろ、しっぺをするときにはミミズ腫れになっているところを狙い、さらなるダメージの追加を目論むのであった。

このようにバイオレンスな遊びだったが、けしてイジメの要素はなかった。あまりにもミミズ腫れがひどくなったときには「しっぺはミミズ腫れのない逆の腕にしておくか」という提案もあったのである。

しかしその提案を飲むものは一人としていなかった。笑ってしまったら堂々と「こっちにやれ!!!」とダメージを負っている方の腕を差し出したものである。みんなバカだけどかっこよかったのである。

この遊びを行っている数人があまりにも楽しそうだったために、「おれも(わたしも)、まぜてほしい」という申し出もいくつかあった(女の子からの申し出もあった)。

しかし、興味本位で来たものは、一瞬で脱落。こんな遊びについて行けるはずがないのである。ますます「囲み」のメンバーの絆は深まるのであった。

余談だが、後にダウンタウンの「笑ってはいけない」というそっくりの罰ゲーム企画が人気になり、僕はものすごくびっくりした。

教室の隅の小さな輪の中にギュッとつまった狂気。あのときのあいつらと一緒でなければできなかったことだ。それがわかるのは、その後何年も経ってからのことである。

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斎藤充博
@3216
仕事の依頼はこちらからfushigishiatsu.hatenablog.com

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