続き…

 

ゆっくりと……、僕の体は、前方で僕を待つ……、新しい仲間たちの群れに……

『ガガン!!ゴゴゴゴ……』

比較的、近くに落雷したのだろう、目の眩むような閃光、地響きと共に耳をつんざく大音、そして僕の聴覚は麻痺してしまった。だが、幸いにも、動かなかった僕の体は、脳を介さない反射運動の方を優先し、僕は我に返った。

『キーン』という耳鳴り以外は何も聞こえない状況の中、むしろ僕の頭は走馬灯のように忘れていたことを思い出した。

…僕は何をしている…?

音のない世界。僕の目の前にある全てが遠くボヤけて見えた。

…そうだ……。迎えに来た死人たちと対峙していたんだった…

だが、僕のゆらゆらとボヤけた視界の中に、死人の行列は映っていなかった。

…どこへ行った…?

目の前には……、非常に不自然だが、あの恐怖の象徴とも言える石棺が……、宙に制止していた……。

…何だ…?

そんな無音の世界で僕に囁くものがあった。

「恐れるな。我らがある。正体を見よ」

…誰の声だ……?だが過去に聞いたことが…

いつも頼りにしている聴力が働かなくなった今、僕の意識は目に集中している。 五感の一つが失われると、その他の感覚は研ぎ澄まされるという。

そんな僕の目は、雷鳴が光る度に反射する、この呪いの石棺の……周りにあるのようなものがあることに気が付いた。その一見、透明な膜が……先刻まで死人が持ち上げていたはずの石棺を持ち上げている。
 
僕はさらに目に意識を集中する。

霊感などない僕の目にもやっと……見えた。

…これは……石棺ではない……殻!中で蠢く巨大なものは……、黒い……触手にも似た軟体……

『蝸牛』

『巻貝』


背中に巨大な……四角い殻を背負った……貝の化物!!

血を思わせるドス黒い液体を滴らせながら……、その醜悪で、巨大な軟体は、石棺に似た殻の中で、腐った血の海に浸ったまま蠢いていた。

 

 

 

 

 

再度、辺りを雷鳴が照らし出した。音がなったのかはわからない。

だが、その一瞬の光が消えたと共に、目の前の、おぞましい化物は……消えてしまっていた……。
 


だが、それが消えた場所に、何かが異様なものが蠢いているのが目に入った……。

恐る恐る近付いて見てみると……それは、何百匹もの……カタツムリだった。

…カタツムリには……罪はない……か…
 
雨の音が遠く聞こえ始めた……。聴力回復の兆しだ。

…僕がこの場所を選んだのは……、ここが僕にとって最も安全な場所だからだった…

激しい雨の中、僕は忘れていたように振り返えった。

そこには……、定かではないが、平安時代に作られたといわれる地蔵が六体。その内の四体は首が落ちてなくなってしまっている。

…怯える必要なんて……なかったのは……知っていたはずなのに…

と、申し訳ないような気持ちで、僕は手を合わせようとしたが、三半規管に乱れがあったのか、よろけてふらついた。

そんな僕をそっと支えてくれた暖かい手……、僕はずっと彼らと共にいた……。僕の目には何も見えなかったのだが……。

 

 

 
 

 

 

遠い昔から、日本では正体不明の存在を『妖怪変化(ようかいへんげ)』表することがある。この『変化(へんげ)』という言葉は、何かのきっかけで体が変化し、特異な能力を得た正体不明の存在を表すものだ。

例えば……、二十年以上生きた猫は、尾が二又にわかれ、人語を解し、様々な超常的な能力を持つ、『猫又』という猫の変化が有名だろうか……。

そんな変化の中に、正体を知られると力を失うものがいる、という話を読んだことがある。だから正体を見破られないように、堅牢に隠すものだと……。

この変化が起こるのは何も哺乳類に限らない。ムカデのような昆虫や、無生物である、使い古された針すらも変化したという伝説がある。

つまり……僕は、あれを蝸牛の変化ではないかと予想した。

地蔵菩薩の力を借り、僕はあの石棺の正体を見破ることに成功したから、あの変化は力を失い、退散したのだ。

何十年、いやひょっとしたら何百年も生き延びてきたあの化物も、平安の世から皆の安全を見守ってきた地蔵菩薩の前には敵わず、屈したというところだろうか……。
 


夕立というものは、降り始めたときと同様に、突然に止むものだ。

思い出したように、太陽の光が辺りを照らし、大量の水と光を浴びて、山が喜んでいるように感じた。

全てが終わったことを知った僕は

「はは……お地蔵さん。今日も助けてもらって……ありがとうございます」

僕はいつものように、頭を下げた。

びしょびしょの鞄から、桜餅を取りだし、

「これはパックに入ってたから、大丈夫」

と、彼らに備えた。

「それと……、あの……人たちのこと……。よろしく頼みます」

神社は祓うもの、寺は道を示し、成仏を促すもの。

僕が今日、この場所を選んだのは、六地蔵の力を借りる為だけではない。あの石棺を運んでいた不憫な人々の霊、せめて彼らが救われるように、と寺を選んだのだ。

「すいません……。びしょびしょなので……さすがに今日は帰ります。またすぐに……お礼を持って来ます」

と、踵を返すと、目の前には先刻とはうって変わったような不思議な光景が広がっていた。

雨後の、霧煙る森林に太陽の光が差すと、そこは太古の原始林を思わせる神秘的な雰囲気で……さらにそこに虹が射していた。
 
…世界は……美しい…

 

 

頭から足先までずぶ濡れだった僕だったが、嫌な気分など全くしない。

 
むしろ何か……お地蔵さんに誉められたような、そんな高揚感と共に、万緑に染まる山を後にして、僕はいつもの日常に帰っていった。