仏教は、初期のアビダルマの時代には、盛んに存在論を問題にしていたようである。


大乗仏教が成立して、中観派が論理学を発達させる。様々な言語哲学的な試みもなされる。


そして、そのあとに出現した瑜伽唯識派が言語哲学をさらに発達させ、心理学的な展開を見せるようになる。


仏教の哲学的発展は、ここで停止する。


その後出現した密教は、初期ヒンドゥー教に先祖返りし、呪術的になる。思想よりも効能を重視するようになる。


仏教の中観派は、数学の論理学的分析には踏み込まなかった。それゆえ、東洋には、フレーゲのような哲学者は出現しなかった。


その結果として、哲学の言語経済みたいな問題提起をする、ヴィトゲンシュタインみたいなタイプの哲学者も、東洋からは出現することがなかった。