「とりあえず開けて見ましょう」


 痩せ我慢で恐怖を飲み込んだ僕は、段に何とかそう言った。ここまで遥々と来たのだから、目的は達成しなければならない。正直の所、僕はとっとと確認を終わらせて逃げ出したかった。


「わかりました」


 と、段は答えて襖の前に立つ。ギシギシと立て付けの悪くなった襖を半ば無理矢理、バキバキと開けていく。その間中、僕はその黒い女が気になって仕方がなかった。

 

(こいつはひょっとして翔太郎が見たという女なのか……?それとも彼の夢に出てきた迎えに来る女か?)

 

そんな想像が抑えきれない。

 

今思えば、翔太郎達によって一度開けられたはずの、この立て付けの悪い襖の扉をもう一度閉めることなど不可能に思えるのだが、誰がどうやって閉めたのだろう?

 

力を入れて引くと、しまいに襖は外れて落ちてきた。

 

頭に当たるように落ちてくる襖を払いのけ、僕はあの動画にあったオレンジ色の物体を探す。

 

意外とそれはすぐに見付かったが、見つからない方が良かったのかも知れない。その御守りは間違いなく僕が桔平に渡した物と同じ御守りだった。偶然に同じ御守りを持った他人がこの場所に来て、それを落とした、と考えるには無理があった。

 

絶望と恐怖を覚えた僕は段に


「あかん。やっぱりそうやった……」


 と言おうとした言葉が


「ヒッ!?」


 という甲高く間抜けな音に変わる。しゃがんで膝を付いていた僕は、段を見上げる形だったのだが、彼の背後から見下ろすように、黒くかなりの長身の女がいた。長い髪が段の肩にかかっている。


「どうしたんですか!?」


 と、彼は僕に尋ねる。つまり彼には見えていない。

 

ということは、それは幻覚であるとも言えるのだが、もう僕にはそう思える余裕はない。

 

僕は黒い女の顔を見てしまった……。

 

その顔は……骨だけだった。ひび割れた骸骨が、紺色の破れ汚れた和服を着ている。

 

正直、女性かどうかもわからないが、僕には女性に思えた。

 

そして所々抜けている歯が真っ黒に……恐らく塗られている。頭蓋骨の目玉がある場所に位置する真っ黒な空洞が僕を見ている。

 

尻餅をついたまま半狂乱で僕は後ろに後ずさった。この時についた傷は今も僕の手に残っている。


「大丈夫ですか!?」


 と、駆け寄ろうとする段の肩越しには、黒い骸骨がずっと寄り添っていた。僕は声にならない声をあげ、呼吸すら満足に出来なかった。僕は床に散らばる木片を彼に投げつけ、必死に


「来るな!」


 と叫んでいた。

 

段から見れば大事だっただろう。

 

僕が急におかしくなってしまったのだから……。

 

しかし、おかしくなったのは僕だけではない。

 

僕を心配して声をかける段の顔は薄く笑っていて、右手には少し長めの折れた木の棒を持っていた。

 

長い腕骨が彼の左肩に後ろから抱きつくようにぶら下がっている。

 

そんな男が笑いながら右手に武器を持ち、自立する骸骨を従えて僕に向かって来ようとしている。それが幻覚でも、現実でも、夢であっても、僕の精神はもってくれそうになかった。

 

僕は座った状態のまま後ろに後退りながら、手に触れた物を投げまくった。幾つかは彼に当たっていたが、そんなことで動じるはずもない。


「ほんまどうしたんですか……?やめてくださいよ、先生……」


 と言う言葉とは裏腹に、彼は右手に持った棒で素早く乱暴に素振りをした。


「…おま……おまえ……は誰や!?」


 僕は確かそう言った。


「え……。段ですよ。何言ってるんですか?」


 と彼は笑う。それは非常に嫌な……何か皮肉めいた笑みだった。


(いや、段のはずがない。彼ならこの状況で笑うはずがない……)


「違う……」


 僕はかろうじてそう言った。


「それがどうしたんですか?そんなんもう関係ないっすよ!」


 段の顔から笑みが消え、眉間に皺を寄せた厳つい顔になった。僕はこんな顔の段を見たことがない。恐ろしいことに、完全に先の骸骨が段におぶさっているのが見えた。

 

「お前は……何だ……?」


 正直、泣きそうだった。混乱した頭、立ち上がれないまま、か細い声で捻り出した質問がこれだった。少しの間、段の動きが止まった。が、また突然、早口で怒鳴るように


「呼ばれたから来てやったんだ!呼んだくせに後はほったらかし!帰ることも出来ず、俺はここに居残ったんだ!」


 かなり早口だったが、辛うじて聞き取れた言葉は、たぶんこんなことを言っていたのだと思う。

 

注意して、聞いて欲しい。こんな極限状態でも、やはり大阪人の僕には違和感があるのだ……標準語には。

 

これ以外にも花がどうとか、何度も僕に会ったとか、わけのわからないことを口走っていたが、早口過ぎてわからなかった。

 

やはりこれは段ではない、と確信すると同時に、腰が抜けたのか満足に立つことも出来ない現実。

 

頭に浮かんだ、どうすることも出来ないという絶望……。

 

僕は両手で床に散らばる廃屋の木片を投げ付けることしか出来なかった。彼はまだ何か言っていたが僕は子どものように物を投げまくっていた。