彼は放課後、友人たちと校庭で遊んでいたらしい。ふと、誰かが蹴ったボールがあらぬ方向へ飛んで行き、彼はそれを追いかけて校庭の脇の草が繁る方へ走った。溝にはまっていたボールを回収し、友人たちの方を振り向くと、校庭で今まで共に遊んでいたはずの友人たちの姿が見えない。


(あれ……?)


 と周りを見回すと、砂場の脇にある鉄棒に何かが揺れているのが目に入った。

 

(何だ……あれ……?)


 彼は目を細めてそれを見た。


(ゴミ袋……?)


 それはボロボロの服……のようだ。


(何かが……変だ……)


 黒い髪の毛……?人…のようにも見える。


(でも……、何かが……足りない。あれは……、人間の上半身!!

 

彼がそれに気が付くと同時に、その奇怪な物体は、無造作に落下した。そして、それは……まるで昆虫のように、二本の腕を使って地面を這い、彼の方に来る素振りを見せた。


(うわ……!!)


 驚いた彼は、友人たちがいた方へと走った。やたらと黄色く照らされた、まるでセピア色の古い写真のような校庭には、人っ子一人いない。


(なんだ、あれは!!みんな、どこに行ったんだ……!!)


 異常な事態、異様な状況、彼は動揺し、混乱し、近くのフェンスを乗り越えて外に飛び出した。走る彼の頭に、今、自宅には誰もいないこと、逃げ込める場所……といった順に、僕の塾が浮かび上がるまで、そう時間が掛からなかったようだ。

 


「なるほど……な。そりゃ……、怖かったな……」


 僕はまだ汗もひかない彼に


「もう…大丈夫だ。まぁ、落ち着け……」


 と、椅子に座ることを勧めた。額の汗を拭う彼に、僕は鞄の中から六地蔵の寺の御守りを取り出し、


「これで……まず大丈夫だ。これでもまだ妙なモノを見るなら、もう一度、言ってこい。きっと何とかしてやるから……」


 とそれを彼に渡した。

 

それでもやはり一人で家に帰るのは怖いらしく、僕は彼の家に誰か、人が帰る時間になるまでは、彼を塾で預かることにした。

 

今回僕は、いとも簡単に彼に御守りを渡すことを決断したわけだが、それは同時にこの疑い深い僕が、この彼の身に起こった事象は彼の勘違いや白昼夢、または自己暗示の類ではなさそうだ、と判断したということでもある。

 

まず彼の様子から、少なくとも嘘は言っていないことがわかる。また彼の証言「一緒にいたはずの友人たちが、突然見当たらなくなった」これは僕も何度か経験したことのある、何かが起こる、または現れる前の事象に似ている。

 

そして何よりも……僕を戦慄させたことは、塾に来た時の彼の服が、両肩から胸にかけて、汗に濡れてV字型に色が変わっていたことだ。


(これは、この部分に何かが押し付けられていたんじゃないか? そのまま汗をかいたから、その部位にだけ汗が溜まって……色が変わった……?)


 目で彼の持ち物を確認すると、彼の持ち物は手提げカバンだけだった。つまり、リュックを背負っていたわけではない……。


(そう言えば……、この小学校には『さがり女』という都市伝説が……あったな……)


 と、それを思い出すと同時に僕の全身に悪寒が走り抜ける!


(肩から胸に……?)


 知らぬ間に、僕は後退りしていたようだ。


『それに出くわしても、決して背を向けてはいけない。もし背中を向けたなら、それはおぶさるようにその背に憑りつき……』


 頭の中に,あの時聞いたこの言葉がこだまするように甦る。


(彼は……、何かを…、いや……ナニカを背負っていた……のか……?)

 

実際は背中に伝わる冷たい汗を感じながら、彼に御守りを渡したのだ。


(都市伝説が形を持つなんて、反則だろ)

 

内心、焦った僕だったが、とにかく冷静に考えようと努め、これはそれを信じる者たちによって具現化されつつある、集団信仰における偶像神と同じことに過ぎない……と結論を出した。


(とりあえずは、あの御守りがあれば……大丈夫なはずだ。そう……、とりあえずは……)


 僕は不安さを消せないまま、その日、塾を後にする彼の背中を見送った。

 

 

だがこの後すぐ、僕はまた夢を見始める。

 

夢の中、僕は夕暮れの校庭にいる。どこかで見たことのあるような校庭だ。見覚えのある遊具、校庭を眺めながら、僕はなぜか校舎の脇に見える校門に気を惹かれ、ゆっくりとそちらへと歩き始める……。

 

と、後ろから声を掛けられた。女の子の声だ。僕が振り向くと、そこには女の子がいた。

 

その少女は、疲れ果てているように皮膚はカサカサ、唇も乾きひび割れ、血が滲み、その顔は青白いというよりも、青緑色に見え、鼻の下から顎にかけて、石のようにひび割れていた。


「もう!あっちじゃないって言ってるでしょ!こっち!」


 と、すこし苛ついたように彼女は僕を校舎の方へ誘導し、僕はそれについて足を進める。夢の中、既視感を感じながらも、どこでこの光景を見たのか思い出せない自分がいた。


校舎へと続く道はアスファルトに変わり、それをしばらく進んだ所で彼女の足が止まり、


「あの部屋!」


 と、校舎の二階のある一部屋を指さす。


「どこに行ったらいいって?あの部屋よ。忘れないでね」


 念を押すように彼女は言う。その時ふと、現実が頭によぎり、僕は言葉に出した。


「君は……カナコ……?」


 と言う自分の声で目が覚めた。

 

同時に今見た夢は過去に『さがり女』の都市伝説を聞いた時期に何度も見たものであったこと、そして何度も見たがゆえに、過去のそれと先刻見たそれとの微細な違いを明確に指摘できる程にはっきりと認識することが出来た。


(さがり女という都市伝説を聞くと……妙な夢を見る……か……)


 この『さがり女』は、同小学校にある他の都市伝説『カナコ』にも関連性あるのではないか、いや、あの夢に出てくる女の子こそが『カナコ』であり、また『さがり女』と同一のモノではないか、と疑い始めたのもこの頃からだ。

 

だが『カナコ』の方の都市伝説では、確か彼女と『かくれんぼ』『鬼ごっこ』といった、いわゆる『子どもの遊び』をするということだった。僕はそんなことはしていない。やはり僕の夢は別のナニカか、それとも、何か別の意味があるのか……。