ゆっくりと相手を見据えて、僕は頭をまわす。


「あ……、え~っと、カナコ……ちゃんかな?」


 矛盾しているが、彼女とは初めて合うが、初対面ではない。


「そう呼ぶ人もいるけどね……」


 少し悲しそうにも見える彼女の前で、僕は一度、深呼吸をし、


「もう……終わったのか?色々聞きたいんだが、まず、アレは一体、何やったん?」


 僕は……とりあえず、一番の疑問を彼女に尋ねた。


「あの夕日が落ちるまでの時間、お話ししましょ。で、あれは……」


 アレは、僕らが幽霊と認識するものとは全く別の、いつ生まれたのか、どこから来たのか全く不明の悪意を持った化物としか表現できないものらしい。

 

正確にはわからないが、いつの頃からか校庭の隅に罠を張り、子どもを狙い、本体は図工室の、今しがた僕が砕いた何かに潜み様子を伺っていたのだという。こいつに同種の存在がいるのかはわからないが、もしいたと仮定するならば、それこそがあの有名な都市伝説『テケテケ』なのかも知れない。


「何で……俺が狙われたの?子どもじゃないし、何よりこの場所に来たことも……」

 

当然の疑問を口に出す。


「あなたはね、アイツじゃなくて、あたしが迎えに行ったのよ。しかも二回も……」

 

(どういうことだ?僕がここにいる理由として、あの化け物は関係がない?ってことはやっぱりこの目の前の少女が……)


「じゃあ、やっぱり君は……この学校の七不思議の『カナコ』なのか?」


 僕は緊張と共に身構えた。


「まぁ……そういうこと。でも、きっとあなたが思ってるようなのじゃないわよ……」


 カナコはあの化物よりも、ずっと昔からこの学校にいた。

 

そしてあの化物が現れてからというもの、彼女はどうにかして子どもたちを守ろうとしていたのだ。

 

あの化物は、その恐ろしい容姿を利用し、子どもたちを追い、校門をくぐらせようとする。

 

そう……あの一見、現実世界への出口を思わせる、罠のような校門を……。もしもあの墓場に繋がる校門をくぐれば、そこからは二度と帰っては来れないらしい。彼女は、とにかく子どもたちにそれをくぐらせる訳にはいかなかった。


「子どもたちは……いや、大人だって簡単には話を聞いてくれないからね」


 故に、彼女は自身を怪異に仕立てあげ『かくれんぼ』や『鬼ごっこ』で鬼の役を駆って出て、常に門の前に陣取り、子どもたちをそこから遠ざけることにしたのだ。


「あの化物はね……、日が傾いてから、落ちるまでのわずかな時間しか動けないの」


 得体の知れない『カナコ』という鬼が常駐する校門を避ける子どもたちは、方々にして校門以外から敷地外に脱出するか、日が落ちるまで校内にいるか、そのどちらの手段を取っても彼らは無事に現世に帰れるという。


(なるほど……皆が皆、無事に逃げ切れた理由は……こういうことだったのか……)

 

「君はあんな化物を相手に、ずっと一人で戦ってきたのか……」

 

「あいつは生きている者にしか興味はなさそうだったし、あたしは門の前にいればいいだけ……。それほど大変なことでもなかったわよ」

 

彼女はそう言うが、僕はおいそれと納得できなかった。


「僕を……呼んだ理由は……?」


「昔、学校のフェンス越しに、すごい人達を引き連れて歩いてるあなたを見かけた。だから……あの時、あなたに相談しに……行ったの」


 そう言えば、彼女が僕に相談しにきたという時期は、健康のため、塾まで徒歩で通っていた時期に当てはまり、確かにそのコース上にこの学校がある。

 

驚くべきことに、過去に僕は夢で一度この場所を訪れていて、今日と同じようなことをしたらしい。そんなことは全く覚えてはいないのだが……。

 

「あなたのその御守り。それがあったから、あたしはこの部屋に入ることができた。ちなみにね……、そこのドアが開かなかったでしょ?ここはね、外とは時間の流れが違うのよ。だから、本来、ここにあるものは何一つ、動かせたりはしないのだけど……」

 

と、彼女は床に広がる黒い布に目をやった。

 

「やっぱりあなたは特別みたいね……」

 

その布をめくればあの化物の正体がわかるかもしれない。だが僕は、中を覗いてみようなどと一切思わなかった。

 

「俺がここであの化物と戦ったのは、二度目だったってことか……」


「夢は覚えていないものよ……」


 と、言う彼女は何か悲しげに見えた。


「すごい人たちって……?」


 僕は尋ねたが、


「さぁ……わかんない。でもきっと神様だと思う。しかも一人じゃなかった」


 僕は食い気味に


「六人?」


 とまた尋ねたが、何人かは正確にはわからないとのこと。しかしその『人たち』は小柄で、僕と連れ添うように歩いていたと彼女は言う。


(小柄で、複数で、神様……か……。思い当たることが……、大いにあるな……)


 と、僕は手にしたままの御守りに目をやって、やっと笑顔が出た。

 

夕日が細く、辺りが暗くなり始めた。

 


「あんたねぇ……、あたしを疑ったでしょ?」


 詰め寄るように、彼女が問う。そうだ。確かに僕は『カナコ』と『さがり女』は同一の怪異、また『カナコ』が生徒を使って僕から御守りを奪い、この夢に誘ったのだとも……考えた。


「ああ……ごめん。僕も怖かったから……。ほんと、ごめん。」


 と謝ると


「次は忘れないでよね……っても無理か。夢は忘れるものだもんね……」


 と言う彼女は少し寂しそうに見えた。そんな彼女を見た僕は


「いや、大丈夫だ。今日も……姿は見えないが、きっと来てくれてるんだ。今もこの会話を聞いてくれてる。その、君の言う神様たちに頼んで、忘れないようにしてもらうよ」


(神様……。そう、お地蔵さんに決まっている……)

 

もう日が落ちる、窓から入る光はもう筋のようだ。


「でさ……、君は、学校の守り神だと皆に伝える。七不思議『カナコ』はこれから守り神『カナコ』に変わるんだ。これで……君も……」


と僕は目が覚めた。

 

チッチッチッチと時計が針を刻む音と共に、外から鳥の声が聞こえる。

 

汗がひどい。

 

だが……僕は、夢の内容を事細かに覚えていた。『さがり女』のこと、『カナコ』のこと、彼女が語ったことも、僕が目覚める瞬間、初めて彼女が笑顔を見せてくれたことも……。

 

 

 

幾つかの後日談がある。

 

僕がこの恐ろしい夢を見てから数日後、その小学校に通う生徒から興味深い話が聞けた。

 

朝の全校朝礼の校長の話の中、誰かの悪戯で図工室にあった修復中の石膏像が、台から落とされ修復不可能なほどに粉々に打ち砕かれていたという話があった。


(図工室?台から落ちて……?)


 その話に興味を持った僕は、生徒たちにその像について詳しく尋ねてみた。

 

それは普段、黒い布が被されていて、教師の見ていない隙をつき、布を捲って中を覗き見た生徒によると、中には上半身だけの白い石膏像があったらしい。

 

それは顔が半分砕けており、過去に一度、今回と同じように、どこからか落ちて砕けたのだ、という。


(過去に……か。そう言えば……僕はあそこに二度、訪れたんだっけな……)


「はは、犯人は見付からないだろうな……」


 と、僕は彼らにはぐらかしておいた。


(上半身だけの……石膏像……)


 僕は夢を思い出して身震いした。人型の物には何かが宿り易いという。

 

あの恐ろしい『さがり女』の化物は、いつしか図工室の石膏像に棲みついた……人外のナニカなのかも知れない。

 

 

次は、極めて最近耳にしたことで、今回この話を書くきっかけとなった話だ。

 

この話の小学校には、終戦後に造られた平和を表す少女像があるらしい。

 

しかしそれは相当に古い物で、長い年月に渡って雨風に晒され、色は禿げ、特に顔の下側にかけて、小さなひびが……ひどかったという。その像が近々、修復されると風の噂で耳にした。


(少女像……か……)


 その話を聞いて『カナコ』を思い出した僕は、是非、それが修復される前に見てみたいと思い、生徒たちの運動会の観覧といった名目で、その小学校まで出向いたのだ。

 

学校の中庭に造られたそれは、片膝をつき、両掌を上向きに、その掌の上に小鳥が乗っている、そんな像だった。


(はは……やっぱり……)


 それを目にした僕は微笑みを隠せなかった。そう……それはひび割れがひどく一見不気味だが、あの時、僕と話をした『カナコ』にそっくりだったのだ。


「はは……、久し振り。元気にしてる?」


 僕は声に出して言ったが、当然の如く返事はない。


「修復してもらえるらしいね。良かった」


 と僕は笑い掛けた。

 

「君の方がずっと年上だったのか。だが、今更……言葉遣いも変えにくいな」


 と、その像の台座には製作年月日と


『カナリアと少女』


 と銘打たれたプレートがあった。それを見た僕は


「カナリアと少女。なるほど、カナリアと女の子で、『カナ子』か……。はは……」


 と笑ってしまった。


「何、笑ってるのよ!」


 ハッとして声のした方を見上げるが、やはり物言わぬ石像があるだけだ。


「いや……ごめんごめん……」


 と、僕は頭を掻きながら像に向かって謝罪する。


「生徒からも聞いてるよ。どうだい守り神は……?これで君も、もう寂しくなんかないだろ……?」


 返事はない……。だが、カナコ像の顔は

 

「余計なお世話」

 

と言っているように、仏頂面に見えた。あの時、僕が夢から覚める直前に見た彼女の笑顔、それを見た僕には思うところがあった。


(あんな笑顔を作る子を……恐怖の対象のまま、放ってはおけないよな……)


 その後、数年かけて、僕の口から出た新しい噂は僕の生徒を通って拡大し、学校の七不思議『カナコ』は生まれ変わった。

 

もし夢で彼女に出合えたなら幸福になれる、学校の守り神の話として……。

 

稀に生徒から『カナコ』の夢を見たとの報告がある。

 

その内容は『かくれんぼ』や『鬼ごっこ』とは別に、最近では一緒に『DS』や『スマホゲーム』をした子どももいるという非常に面白い報告もある。

 

その報告の半数以上は、只の夢や盛られた話なのだろう……。だが、ごく稀に……妙な、僕にとっては非常に嬉しい報告が混じっていることがある。

 

 

これは『守り神カナコ』の夢を見たある塾生からの報告だ。

 

その生徒は彼女とひとしきり遊んだ後、最後にこう言われ、戸惑ったらしい。


「何でそんなん言われたか……わからんけど、カナちゃんな、最後にな、「先生に宜しくね」って言っててん。何なんやろ……?」


 と。

 

実はこのような報告はこの生徒一人からだけではない。

 

とりわけ僕の塾生が『カナコ』との夢を見たときに、この現象が起こるようだ。

 

僕には思うところがある。

 

一般的に事故がよく起こる場所や、不吉とされている場所に、それを抑えるために地蔵が置かれていることはままある。このカナコ像も形は違えど、今までずっとあの小学校にて、そのような守り神的な役割を果たしていたのではないだろうか?

 

「パン!」

 

何かの競争でも始まったのか、遠くで競技鉄砲を打つ音が聞こえる。ふと、校舎脇から体操服を着た小学生たちが、こちらを見てひそひそと何かを話しているのが目に入った。


(まずい、像に向かって一人で喋り、笑っているおっさんなど、不審者でしかない……)


「ごめん、ちょっとまずそうやからもう行くわ。元気で……って言うのは、おかしいのかな……」


 と呟くように像に告げ、僕が背を向けた瞬間、一陣の風が吹いた。その風の音に混じって


「ありがとう。またね……」


 と聞こえた気がした、そんなある秋の日の午後だった。