(何だ!あれは……!)


 まず頭に浮かんだのは疑問。


(何にせよ、普通じゃない……)


 考えてもわかるはずもない未知の存在。

 

吹き飛ぶ好奇心。そして数瞬後に訪れる、後悔にも似た圧倒的な恐怖。

 

それは……京都などの観光地でよく見る、木造の人力車を巨大にしたような物で、そしてその後側は……なんと言えば良いのだろうか、シンデレラに出てくるカボチャの馬車の部屋のようになっていた……が、その和風で古式めいた形から伝わってくる不気味さは半端なものではない。

 

恐らく車輪も木製で、またその前方には人力車を引くはずの人間はいない。


(動力源は一体……?)


 圧倒的な恐怖と悪寒。

 

進路的にその巨大な人力車は……どうやらこの、僕らのいる歩道橋の真下を通ろうとしているようだ。

 

それが近付いて来るにつれ、この精神を蝕むギシギシという音は、不協和音の『とおりゃんせ』と合いなって、まるで現実とは異なる世界に自分達が迷い込んだのではないか……というような錯覚まで引き起こす。


「ん……?」

 

人力車の向こう側が、何かモヤモヤしているように見える。


「シッ!静かに……!」


 と下田が僕を制する。

 

よく見ると下田も真っ白な顔で、汗をかいている。

 

その人力車の部屋の屋根の部分には、古くひび割れた瓦があり、それはさながら小さな和風の家、古く廃れた祠か社のようにも見えた。また、それが近付いて来るにつれて、僕らからは見えないその部屋の後方に、部屋からはみ出す程に巨大な何かが乗っている可能性が……。

 

目の良い下田が僕の耳に口を寄せ、本当に小さな声で


「おい……。あの後ろ、何か黒いものがはみ出てる。かなりでかい物が乗ってるんかも……」


 と囁き、僕は無言でそれに頷いた。

 

近付くにつれ、まるでそれ自体が歩いているかのように、右へ左へ揺れながら進んでくる。

 

その人力車が僕らのいる歩道橋の下をギシギシと……、また木が鳴るようなパキパキという音と共に、ゆっくりと通過する直前に、その後方の道が見えた。鬼火だ……。

 

一見、祭りのように煌びやかに見えたそれらは、何十という赤い火や青白い火、緑色、黒いものもあった。

 

それが……その人力車の後をゆっくりとついて行くように、ふわふわと舞っていたのだ。そしてそれらは次第に人型に変貌と遂げる……。奇怪な、人間の形に……。

 

気が付けば、歩道橋の下には、実に様々な人間たちがいた。

 

老若男女はもちろんだったが、奇妙なのは彼らの服装だ。スーツ姿の男性もいれば、セーラー服の女学生、また古めかしい頭巾を被った人たちもいれば、時代めいた髪形の女性、神主のような人もいた。


(服装に世代の統一性が見られない……)


 しかし、特筆すべきことは別にあった。

 

彼らはほぼ全て、何かしら、どこかに怪我をしているようなのだ。

 

都市伝説でよく出てくる『血塗れの……』という表現がぴったりで、ひどいものになると、肘から先がなかったり、足が変な方向に曲がって傾いている者もいた。

 

それ故に、僕は彼らをこの世の者ではない、と確信したと同時に、目下をうじゃうじゃと行進する死者の群れが、自分達がいる歩道橋に上っては来ないかと戦慄した。

 

だが、いつか映画で見たようなゾンビたちの群れは、幸いにも歩道橋を登ってくる気配を見せることはなかった。

 

彼らは交差点に差し掛かり、渡り終える前には薄く消え失せてしまった。

 

そんな亡者の群れに気を取られている間に、あの謎の人力車も消え失せ、不快な不協和音、『とおりゃんせ』も止まり、また信号機も黄色点滅に戻っていた。僕らはしばらくの間、放心状態だった。

 

どのくらいの時間が経ったのだろう、東の空が明るくなり、鳥の声が聞こえ始めた頃に、僕らはやっと正気を取り戻した。

 

いやひょっとしたら、あまりの壮絶な光景に気を失っていたのかも知れない。

 

今しがた僕らが目にした物を、とても真実だとは思えなかった。

 

後々わかったことだが、下田と僕で、そのとき見たものが少し違っていた。

 

あの人力車に関しては僕も下田も同じものを見ていて、下田はあの人力車は透けていたとも言っていたが、その後に目にしたあの亡者の群れは、下田には終始、色とりどりの人魂にしか見えていなかったらしい。

 

僕がその亡者の群れに気を取られている間、下田は僕らのいる歩道橋を通り過ぎ、僕らの後方に行った人力車を気にしていて、それは、交差点を超えると急に薄くなり、揺れながら消えたと言う。

 

僕はそれを見ていない。だが下田は見ていた。あの人力車の後方に乗っていた巨大な何か……を。

 

下田はあの人力車の後方には、あまりに巨大で、奇怪な……、白髪の老婆の顔が、部屋にギチギチに詰まっているように乗っていたと言った。

 

下田いわく、その顔は、僕らの背丈をゆうに超える大きさで、薄気味悪く笑っていたらしい。

 

悲鳴を上げないのが精一杯……いや、悲鳴も出ないほどにおぞましかったと、彼は言った。

 

朝の太陽の光に救われるように、なんとか無事に家に辿り着いたのだが、怖いもの好きの下田もこれには相当堪えたらしく、しばらくの間、夜道に怯えるようになった。それは僕も同じだったのだが……。

 

 

冒頭に書いた『建物の霊』とは、十中八九あの奇怪な『人力車』に間違いないだろう。

 

建物の霊というよりは、カボチャの馬車のように、『人力車に建物が乗っている』が正解なのだと思う。

 

あれが……この交差点で頻発する事故に関係があるのだろうか?では、あの人魂……もとい亡者の群れは、彼らの服装の年代に統一性がないことから、あの交差点で亡くなった人たちの霊なのだろうか?

 

実はこの話、これで終わりではない。

 

この後、僕が大学生になってから、そして大学を卒業後……と三度に渡る。

 

そして、たぶん……あの人力車について、また、亡者の服装の統一性のなさの原因について……少し解ったことがある。

 

続く