最近ある高校生の生徒が塾に入塾して来た。その生徒は先の『人が変わる』で書いた中学校出身で、元不登校の生徒だった。

 

その生徒に、自分が不登校になった原因と、前々から気になっていた『なぜあの中学校には不登校が多いのか?』について、心当たりはないかと尋ねてみたが、答えは抽象的で漠然としたものだった。

 

だが、話を変え、いつものように

 

「なんか……七不思議みたいな、面白いことはなかった?」


 と尋ねて見ると、興味深い話が聞けた。あの中学校には


『夜中の二時に、体育館の大鏡を見ると、鏡の自分と入れ替わり、それを見た自分が鏡に閉じ込められて、鏡に写った方が現実世界で代わりに暮らし始める』という、そんな一見ありふれた怪談があった。

 

それを聞いた僕は、まず


(なんか聞いたことがあるような……。陸もそんなこと言ってたような……?)


 とも思ったが、


「体育館に鏡があるの?」


 と、まず頭に浮かんだ疑問を口にした。


「なんか元々、その中学校は違う何かで、その頃にあった鏡が今も残ってる……とか聞いた」


 と、その生徒は応えた。


(前施設の残存物か……)


 その体育館にある鏡は、壇上に上がる階段手前の壁にあるらしい。よくよく聞いてみると、それは二メートルを越える巨大な物らしく、七不思議に数えられるには十分な要素を備えていた。

 

また、そのような大鏡が、下足箱付近の壁にも嵌め込まれているという。


(体育館に鏡など……割れたりして危険じゃないのか……?)


 と僕は思ったが、体育館と聞いてある話を思い出した。

 

いつの頃か忘れたが、その中学校で生徒が朝の朝礼中に、日射病で倒れて以来、日射しの強い日は体育館で朝礼を行っている……という話だ。


「それもほんまですよ。夏はだいたい……体育館で朝礼です。体育館に大人数が入るんで結局、めっちゃ暑いんですが、日焼けしないし、外よりはマシかも……」


(少子化で、学校に子どもが少なくなったからこそ出来る術だな……)


 彼女は続ける。


「ただね。暑くて頭がぼーっとしてる時に、面白くもない長話を聞かされると、最後の方は日本語じゃないみたいに聞こえてきて……。結局、みんな変なポーズして、自分を鏡に写して遊んだり、髪型を気にしたりして、誰も先生の話、聞いてないっていう……


 と、彼女は笑った。


「ふーん。まぁ……そういう使い方になるか」


 と、僕も笑ったが


「私も列の前の方だったから、話よりも鏡ばっかり気になって……。知ってますか?少し離れた場所から、大きな鏡を見ていると、その内、自分が知らん人みたいに見えてくるんですよ。これは私だけじゃなくて、みんな言ってました」


「へぇー。暑さも関係あるんやろな……」

 

と僕は相槌を打ったが


(自分が他人に見える…か……。ん……?)


その時、あることが頭によぎった。『ゲシュタルト崩壊』という言葉だ。

 

『仏』という漢字を、少し時間をかけて見てみて欲しい。

 

 

『仏』

 

 

 

カタカナの『イ』と『ム』に見えてこないだろうか?『イ』と『ム』に見えてきてしまったなら、後に『仏』を見ても、もうカタカナのイムにしか見えなくなったり、また逆にイムが仏にしか見えなくなったりする。

 

このように『仏』という漢字が、カタカナの『イム』に見えてくるのが『文字のゲシュタルト崩壊』の例だ。

 

これは『鏡の悪魔』で書いたように、鏡に写った自分に『お前は誰だ』と毎日問い続けると、鏡に写った自分に対しても、『ゲシュタルト崩壊』が起こるという話も聞いたことがある。

 

つまり自分が誰なのかを脳が認識不可能になる。

 

だが……『鏡の悪魔』の話はそれで終わりではなかった。鏡の自分が意思をもって動き始めたという話だった。

 

あれは『ゲシュタルト崩壊』と『自己暗示』の複合型だったのだろう。

 

だが……、この元不登校だった生徒に聞いた話は『意思をもって動き始める』という結末まで、『鏡の悪魔』の話に似てはいないだろうか?

 

話を戻そう。

 

あの中学校における朝礼と体育館の大鏡……。蒸し暑く密閉された空間内で、興味のない話を延々と聞かされながら鏡に写る自分を眺める。

 

最初は遊びであっても、それを続けると自分が他人のように思えてくる、しかもそれは複数人に及んでいるとその生徒は言った。

 

これはその当人たちに、意図せずゲシュタルト崩壊が起こり始めた前兆ではないか?

 

その鏡を見続けると、ある日、突然に『ゲシュタルト崩壊』が起こり、自己認識が出来なくなる。

 

それは他人の目には『ある日、突然に人が変わった』ように映るのかも知れない。

 

全ての人間にそれが起こるとは思えない。

 

だが『全てに起こるわけではない』という事実が、余計に迷彩となり、それが原因である……と特定も出来ない事態を招いているのかもしれない。

 

この奇妙な不登校は往年に渡り、また僕はその学校に対して直接的に何の関わりもないので、不登校になりやすい生徒の傾向を調べることは難しいが、先の生徒に尋ねたところ、彼女のクラスには不登校生が異常に多かったらしく、その環境のせいで、自分も不登校になったのだ、と彼女は考えているようだ。

 

だが、彼女の話からすると、彼女のクラスは……朝礼で並ぶ際に、例の大鏡の前に位置していたはずだ。

 

正直、これが原因かどうかはわからないが、ここ近年に続く『ある日、突然に人が変わった』は、『暑い体育館で、興味のない話を聞きながら鏡を見続けたことによるゲシュタルト崩壊』で説明がつくのかもしれない。

 

結局は都市伝説止まりの、中途半端な仮説にしかなり得ないのだが……。

 

そう言えば、興味のない話を延々と聞かされながら、鏡に写る自分を見るという行為は、呪文を唱えながら、鏡に祈りを捧げるという、古代シャーマンのトランス状態に似ているようにも思える。

 

つまり古代の儀式というものは、むしろ自己に対してのゲシュタルト崩壊を意図的に起こす為に行われていた、と仮定すると、『自己に対するゲシュタルト崩壊』という言葉を、『自己の喪失の完了』というふうに置き換えることが可能ならば、その当人は、以前とは異なる言動や行動をするのではないかとも考えられる。

 

この状態の人物を、はるか昔は『神が降りた』と表現したのかも知れない。

 

今も、まだその鏡は体育館に存在するのだろうか……?

 

続く……