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日記 親の時代 2024年3月28日(木曜日) 私を育ててくれた父は明治38年生まれです。 「1905年」と改めて書くと、生きていてくれたら今年119歳です。 育ててくれた母は明治44年生まれだから1911年生まれ。生きていてくれたら113歳です。 父のことを心の中に浮かべてみると、日露戦争が勃発し、日本で初めての百貨店が誕生しました。1905年のことです。 でも、この年にはニューヨークでは地下鉄が開通していました。 父が1歳の頃の出来事です。 第四次伊藤内閣が発足されたのが、父が生まれる1年前でした。 父が亡くなったのが昭和51年(1976年)、71歳でした。 竹島の領土編入が決まり、翌月、島根県によって告示されたのが、父が生まれた年です。 こうして父が生きた時代を思い起こしてみますと、この119年で世界は大きく変わりました。 世見 1870年代 2024年3月28日(木曜日) 明治四年といえば、今から153年も前のことになります。 この年の11月28日、日本から欧米に向けて、岩倉使節団107名が横浜から出発しました。 使節団が46名、大使・副大使の随行が18名、留学生が43名おられました。 この留学生の中に津田梅子女史も含まれていますが、瓜生繁子女史という方も同じ岩倉使節団の留学生として参加した女性です。そしてもう一人、大山捨松女史もおられました。 出発から31年が経った明治35年の3月20日、岩倉大使同行記念会が開かれた時には、存命者が53名になっておられました。 この会にはその内の26名が参加しておられて、女史は上記3名でした。 明治四年という時代に、米に留学する思いを抱いた女性がいたことに感動を覚えます。 明治四年といえば1871年。この年、ドイツ帝国が成立しています。 江戸城無血開城から未だ3年しか経ってはいませんでした。 土方歳三が戦死したのが2年前です。 1872年、梅子女史が横浜から米に向かった半月後、品川~横浜間に鉄道が開通しました。 こうしてこの時代に時計を合わせてみると、153年という年月の重みを感じます。 1872年というのは、大きく時代が動いた年でもありました。 小・中・高等・大学校が設立され、官営模範工場の富岡製糸工場が開業しました。 今では当たり前になっている太陽暦は、この1873年に採用されたのです。1872年の大晦日が12月2日となり、この年、12月が2日しかなかったのです。 きっと当時の人は混乱したことでしょう。 あの時代、クリスマスは人々の間に浸透していなかったかもしれませんが、クリスマスはなく、誕生日も空白の日があったのかと思うと、不思議な思いがします。 と言うことは、明治五年って12月3日~31日まで、日本には誕生日の人はいなかったのですね。 今日もお付き合いくださり ありがとうございます。
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Last updated
2024.03.28 00:17:53
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