相模湖-138
  和香子ちゃんが幼女の頃に遊んだ玩具か。捨てられずにご両親の部屋と思われる部屋にあった(荒らされたのか転がっていた)のは、娘の孫に使わせてあげたいと、お母さんがそっと保管しておいたのではないだろうか。親心がなせる粋な計らいに、数十年後の廃墟の一室にて、たったひとり、胸をじいんと熱くする、僕。

キャンディ・キャンディのたのしい いんさつやさん
 
 
キャンディ・キャンディことキャンディス・ホワイトがニヤけるイラストの横にはこう書かれていた。

ママとわたしのうでくらべ

 女将と和香子ちゃんのうでくらべ。その後、和香子ちゃんと孫のうでくらべ。そこまで母親は考えてはいなかっただろうが、デパートのおもちゃ売り場でこの玩具を手にした時の母の慈愛に満ちた表情を想像すると、夥しい瓦礫の堆積する寒々とした部屋で身も心も温まるようであった。



1
 今回の日記は、幼少の頃、キャンディ・キャンディの玩具でクラスメートの好きな男の子にラブレターを印刷していたかもしれない、お宿の長女、和香子ちゃんから、芳幸君への交換日記。

 和香子ちゃんの将来の夢が語られる。

 峠のお宿二代目女将と書いたのか。

 いや、本人も僕もこれを読まれている方も、そんなことは思ってもみないに違いない。

 その前に、卒業式に卒業証書に校長先生に書いてもらう言葉を事前に生徒が希望を出すらしく、和香子ちゃんはその言葉を峰尾君にこっそり教える。

 和香子ちゃんが卒業式に希望した二文字の言葉。大自然の山の中で緑と戯れながら育った少女の口からはおよそ発っせられることのないだろう、とてつもない野心を抱いた将来の大器を窺わせる、力強い、言葉であった。その言葉のあまりの大きさに、芳幸君、次回どんな反応を示すのだろうか。

 恋人同士の二人は普段から将来の夢を語り合っていたらしく、芳幸君の夢もそこには書かれていた。

 和香子ちゃんの夢、それは、女将の情操教育が実を結んだのか、女将としてはそれが本望ではないだろうが、お宿の売上のことを考えると、とてもじゃないが娘に継がせようとは思っていなかったはず。

 夫婦にとって喜ばしいことであるのか、幼少の頃に買い与えた、「キャンディ・キャンディの いんさつやさん」にあきらかに影響を受けたような職業を彼女は第一の夢としてあげたのである   



10
                                                                                             to   芳幸

・いよいよ 明日は 願書を出しに いく日 だけど .... ンッ・・心の じゅんびが
 まだ できてなくって ・・・ 。   む ん !   ぐわんばるぞ!

・私  今のまんまでも  峰尾 って 素直 だと 思うけどなぁ。
 だって 自分から よりよい 自分を めざそうと してる じゃん。。
 そういう 心が 一番 ”素直” ってことなんじゃないかなぁ
 私 , ホラ、 卒業式 に 校長 先生 に かいてもらう 言葉 あ
 るでしょ、 あれね、 ”征服 ” に したんだ。 意味 は ・・・ っうと
 攻 げきして、 服従させること、 あるいは 困なんに 打ちかって 目的達成
 すること _   うっふふ ♡   いいでしょ ?
 峰尾は なんだっけ ?

・うーん たとえばって ..... いわれると 困っちゃうんだけどナ・・・
 とにかく 本能 に 忠実って いうか. いやだと いったら ぜったい
 意見 は まげないし 、 いいといったら 人が なんといっても 心の中 では ぜったい
 主張 はまげない. 単純 に いえば わがまま なのかもしれないね。
 峰尾が そーぞー してた 答え は どうだったのかな?
 おしえてよ !

・ 今 クリストファー・クロス <ニューヨーク シティ セレナーデ うたった人!> の新曲
 が RADIO から ながれて おりますです。
 この 人の 声って さいこうなんだ ♡ やさしくって 高くって
 すきとおってて ・・・ 外国 ばんの オフコースって ところかなあ。
 今 来日 してるんだ。 あーん コンサート 行きたかった よぉ。

                  ぐ・す・ん

いよいよ願書の提出日。心の準備が出来ていないと、不安をのぞかせる。

口癖の”ぐわんばるぞ”に加えて”むん”を前に付けることで、より気分を高める、和香子ちゃん。

永田先生の小言や嫌味とも受け取れる発言に聞く耳を持たなかった、彼。和香子ちゃんのように、先生の言葉には素直に従いたいと、反省の弁を前回の日記では述べていたが、峰尾は十分素直だよと、彼女は庇う。

>私 , ホラ、 卒業式 に 校長 先生 に かいてもらう 言葉 あるでしょ、 あれね、 ”征服 ” に したんだ。

卒業証書か、それに附属する用紙かもしれないが、校長先生が毛筆で言葉を書いてくれるらしい。それも生徒が希望する言葉を。和香子ゃんが自ら選んだのはなんと「征服」。

霧が立ち込めて森閑とした山の中。幼児用のガラガラだけが響く鄙びた宿の佇む山の中腹。湧き水と山菜と栗を食べ自然に育まれて成長をした素朴さを絵に描いたような少女が、未来に羽ばたくにあたり、「征服」という言葉を口にする。

>攻 げきして、 服従させること、 あるいは 困なんに 打ちかって 目的達成すること _   うっふふ ♡

中学三年生の和香子ちゃん、幼女の頃のあの天使の笑顔を振りまいていた時とは変わってしまい、人を押しのけてまでのし上がろうとする、好戦的な人格になってしまっていたのか。それとも、向上心があるというだけで、本来の「征服」とはまた違った意味合いで発言をしているのか。生まれたばかりの姿の写真から拝見させてもらっている僕としては、不安を抱かずにはいられない。この廃墟、そういった性格も影響してのことなのかと、邪推もしたくなってしまう。

>うーん たとえばって ..... いわれると 困っちゃうんだけどナ・・・

和香子ちゃんの漏らした”感情のうつり変わりがはげしい”発言を聞き、それどういうこと? 今は恋人としていてくれているけど、一週間後は一週間後の自分に聞いてみないとわからないってこと!? たのむよ、肝心なところは打ち消しておくれよ、と、前回の日記で不安そうに発言の真意をたずねた、彼。

>峰尾が そーぞー してた 答え は どうだったのかな?おしえてよ !

和香子ちゃんはあくまでも自分の揺るぎない信念の固さについての説明をする。無論、彼が聞きたかったのはそのことではなかった。彼女もそれとなく感づいてはいたが、あえてはぐらかし、逆にどういう答えだったら良かったのよ、と、彼に本音を喋らせようと仕掛ける。

>今 クリストファー・クロス <ニューヨーク シティ セレナーデ うたった人!> の新曲が RADIO から ながれて おりますです。

クリストファー・クロス、現在68歳。近影ではふくよかな、ただのおじさんになってしまっている。大ヒット曲のニューヨーク シティ セレナーデは、日本のオリコン洋楽シングルチャートでも、1981年12月7日付から6週連続の1位を獲得した。



11
・ちなみに RADIO 何を 聞いているかというと、 TBS の
 松宮 かずひこ の DJ です。 <ルンルン ナイト だよーん>
 あ ♡ 八 神 じゅん子 だ ! この人も わりあい すきだったんだけどな ー
 水色 の 雨 とか ・・・ 。 4 まいぐらい もってる。 シングル だけどネ、

・でも 35人 いると すごい 心強いって 感じしない ?
 願書 出しに ゆくのも ゾロゾロ と ♡
 訓子 なんか 相原 でしょ、 一人 なんだってね . 今年。
 相原 へ いくのが!
 心 ぼそい だろーねえ . やっぱ ・・・。

・ねえ、 男の子 ってさ、 恋人と けっこん相手って 区別するの?
 それとも 恋人 → けっこん ?
 女の子 <全部が全部 そーいう人ってわけじゃないけど>は わりと 区別する子
 が 多い みたいね。                                                           どう?

・将来の ゆめ、 なんて 書いた?
 やっぱり カメラマン ?
 私は 前の とーり フリーライターなんて いーなぁ ♡
 でも ぜったい 芸のう レポーター なんての なりたくないね、
 人の ふれられたくない 秘みつを かぎまわって 何が おも
 しろいんだろう 。
 カメラマンにしても, ルポ<フリー>ライター に しても 人を 感動 させ
 るような、 世界 に 通用 するような 仕事を したい。

 ネ !? そう思わない ?

  男にしろ 女にしろ Big に なる 野望 を もたなくっちゃ!
                                                   それでは . good buy

和香子ちゃんが聴いているラジオ、正確には「るんるんナイト ワオ!」といい、TBSラジオで1982年から1983年まで放送されていた夜の若者向けラジオ。出演メンバーをみると気持ち悪いぐらい欽ちゃんファミリーが勢揃い。

>でも 35人 いると すごい 心強いって 感じしない ?

二人が受験する高校は同じ中学から35人も受ける予定。鬱陶しいというより、心強いという見方を彼女はしていて、そう思うでしょと、彼に同意を求める。

>心 ぼそい だろーねえ . やっぱ ・・・。

訓子はひとりで相原受験。私達は二人一緒。私がいて頑張れるでしょうとさらに掘り下げ、彼から本音を聞き出したい、彼女。

>ねえ、 男の子 ってさ、 恋人と けっこん相手って 区別するの?

中学三年生の恋人同士。悩みを相談したり、将来を語り合ったりする、交換日記をする仲。彼女としては、志を同じくする深い仲間ぐらいでみていたが、峰尾はどうやら愛を激しく求めているようなところがある。独占欲があり、将来を考えているような。そこで、女子は結婚なんてまず考えないけど、あなたはどう思っているのよと、若干勘違いしている芳幸君に気づかせるための質問だったのかもしれない。

>将来の ゆめ、 なんて 書いた?やっぱり カメラマン ?

芳幸の夢、カメラマンだった。

>私は 前の とーり フリーライターなんて いーなぁ ♡

幼少の頃に、おもちゃといえど、自分の書いた文字が印刷され、家族や友達、大勢の人が彼女の書いた文章を目にした。様々な反応が帰ってきた。文字で自分の考えを世界に伝えることが出来たなら、どんなに素晴らしいことかしら。あの「キャンディ・キャンディのたのしい いんさつやさん」が影響を与えたとは、僕の考え過ぎだろうか。それは本人のみが知っていることだろう。

>でも ぜったい 芸のう レポーター なんての なりたくないね

芸能ジャーナリズムには否定的な和香子ちゃん。

>人の ふれられたくない 秘みつを かぎまわって 何が おもしろいんだろう 。

何かが僕に突き刺さったような気がした。でも僕の場合は、やむにやまれず眠っている声を汲み上げて、報われて欲しいとの一心からやっていること。違う、違うんだ、と、頭を振り払う、僕。

>カメラマンにしても, ルポ<フリー>ライター に しても 人を 感動 させるような、 世界 に 通用 するような 仕事を したい。

東京の西の外れの山中のお宿にこもっているような彼女ではなかった。世界に出てペンの力で人を感動させたいのだと、壮大な夢を語る、和香子ちゃん。征服という言葉も、これなら肯定的に捉えることが出来るだろう。

>男にしろ 女にしろ Big に なる 野望 を もたなくっちゃ!

私の移り気な性格におどおどしているような小さな男でいるな、野望を持って世界で勝負しろと、芳幸の背中を叩く、彼女であった。



 峰尾君からの返信は、出だしから弱々しいものであった。二人が進もうとしている津高、ホンマおっかない、やさしい先輩いないかなぁ~ときた。この二人、精神的な支柱は完全に和香子ちゃんの方にあるといえるだろう。

 驚いたことに、芳幸君の受験番号が、お父さんのある番号と全く同じだった。こんな偶然あるのかと、普通は興奮気味に語っても良さそうなものなのに、性格なのか、偶然かぁ~、と、聞いているこっちが肩透かし気味にさせられる。

 校長先生に書いてもらう文字、彼は誰もが選びそうな、実に凡庸とした二文字にする。征服とまで書いた和香子ちゃんとは、気概も野心も低そうなのであった。

 彼女からの、恋人を結婚相手と見るか、という問いに、彼なりの感性で素直に答えてくれる。和香子ちゃんのそれとは随分異なってはいるが、恥じらうこと無く堂々と自分の意見を主張する彼は、その時だけは逞しく見えたのである。

 将来の夢や世に出てを語る彼だが、その答えは、和香子ちゃんの壮大なる力強い野望の前では、なんとも色褪せて頼りないものであった   
 



つづく…

「リアリスト峰尾のしがない夢」廃墟、家族崩壊のお宿.16

こんな記事も読まれています