2022年08月17日
サイアーラインで辿る世界ダービー史 - 1982年
「サイアーラインで辿る世界ダービー史」シリーズ第四十弾は1982年。この年の欧州クラシック世代は仏ダービーと愛ダービーのほか、ベンソン&ヘッジスゴールドCやジョーマクグラス記念SとGI4勝をあげた Assert と、その Assert を2度も下し、無敗で英ダービーを制した Golden Fleece などが出るなどなかなかレベルが高かったですね。ちなみに仏ダービーで Assert の2着に入ったのが後に日本でリーディングサイアーとなる*リアルシャダイでした。Assert の種付け料は12万5000ドルと破格の高値が設定されましたが、種牡馬としてはそこまでの結果を残すことはできませんでした。ケンタッキーダービーを制した Gato Del Sol は父がチリからやってきた名馬 Cougar という異色の存在で、世界的にみてもボワルセル系を発展させる可能性のあった最後の馬というところでしたが、やはり種牡馬としては失敗に終わっています。
<1982年度 世界ダービー馬一覧>
<1982年度 世界ダービー馬父系図>
ナスルーラ系は不作の年で、ダービー馬はバルバドスの Troublemaker のみであった。
ノーザンダンサー系もそれほど数は多くないが、その中から愛仏ダービーの Assert 、英ダービーの Golden Fleece らを出すなど非常に中身は濃い。Assert はほかにベンソン&ヘッジスゴールドC(現:英国際S)やジョーマクグラス記念S(現:愛チャンピオンS)を制した名馬で、種牡馬としても大いに期待されたが、パリ大賞典の*ダンスホールなどを出した程度に終わっている。Golden Fleece はその Assert を2度下すなど4戦無敗で英ダービーを制したものの、故障のためそのまま引退を余儀なくされたが、種牡馬としても癌のためわずか2世代の産駒を残して早世した。
ファラリス系からはヴィクトリアダービーの Grosvenor 、クイーンズプレートの Son of Briartic 、新ダービーの Our Flight など多数のパートI国のダービー馬が出た。Grosvenor はほかにVRCサイアーズプロデュースSなどGI計3勝をあげており、種牡馬としてニュージーランドで多数のGI馬を輩出することに成功したが、父系としては途絶えてしまった可能性が高い。Son of Briartic は引退後はカナダで種牡馬入りし、後にワシントン州に渡ると、ここで7度州リーディングに輝いた。Our Flight はほかに新1000ギニーを制し、ニュージーランドの年度代表馬にも選ばれている。
セントサイモン系からはケンタッキーダービーの Gato Del Sol 、日本ダービーのバンブーアトラスなどが出た。Gato Del Sol のGI勝ちは9番人気で制したケンタッキーダービーただ1勝のみで、6歳まで現役を続けた後種牡馬入りするも後にドイツに輸出された。父 Cougar はチリの誇る名馬で、後に米国に移籍し、多数のGI級レースを制している。バンブーアトラスはダービー後に骨折し菊花賞に出走することができなかったが、息子であるバンブービギンがこれを制し、見事父の雪辱を果たした。
トウルビヨン系の Clorhidratante は亜ダービーのほか、ウルグアイのGIホセ・ペドロ・ラミレス大賞を制しており、後に米国に移籍して勝ち星をあげている。チリの Marimbula もエルダービーのほかラスオークスなどGI3勝をあげて北米に移籍しており、GIサンタマルガリータHを制した。母としては多くの産駒を残すことはできなかったようだが、そのうちの1頭が未勝利ながら日本に種牡馬として輸入され、札幌2歳Sのモエレエスポワールなどを出した*マジックマイルズである。
チェコダービーの Cedros が出たガリアール系は St. Simon の父 Galopin から枝分かれした系統で、主にフランスで発展。その末裔の*ラヴァンダンは英ダービーの勝ち馬で、後に日本に輸入され天皇賞のヤマニンウェーブなどを出した。その*ラヴァンダンが日本に渡る前に残した産駒が父 Mehari で、ポーランドで種牡馬入りし、現地のリーディングに輝いている。
<1982年度 世界ダービー馬父系図>
ナスルーラ系は不作の年で、ダービー馬はバルバドスの Troublemaker のみであった。
ノーザンダンサー系もそれほど数は多くないが、その中から愛仏ダービーの Assert 、英ダービーの Golden Fleece らを出すなど非常に中身は濃い。Assert はほかにベンソン&ヘッジスゴールドC(現:英国際S)やジョーマクグラス記念S(現:愛チャンピオンS)を制した名馬で、種牡馬としても大いに期待されたが、パリ大賞典の*ダンスホールなどを出した程度に終わっている。Golden Fleece はその Assert を2度下すなど4戦無敗で英ダービーを制したものの、故障のためそのまま引退を余儀なくされたが、種牡馬としても癌のためわずか2世代の産駒を残して早世した。
ファラリス系からはヴィクトリアダービーの Grosvenor 、クイーンズプレートの Son of Briartic 、新ダービーの Our Flight など多数のパートI国のダービー馬が出た。Grosvenor はほかにVRCサイアーズプロデュースSなどGI計3勝をあげており、種牡馬としてニュージーランドで多数のGI馬を輩出することに成功したが、父系としては途絶えてしまった可能性が高い。Son of Briartic は引退後はカナダで種牡馬入りし、後にワシントン州に渡ると、ここで7度州リーディングに輝いた。Our Flight はほかに新1000ギニーを制し、ニュージーランドの年度代表馬にも選ばれている。
セントサイモン系からはケンタッキーダービーの Gato Del Sol 、日本ダービーのバンブーアトラスなどが出た。Gato Del Sol のGI勝ちは9番人気で制したケンタッキーダービーただ1勝のみで、6歳まで現役を続けた後種牡馬入りするも後にドイツに輸出された。父 Cougar はチリの誇る名馬で、後に米国に移籍し、多数のGI級レースを制している。バンブーアトラスはダービー後に骨折し菊花賞に出走することができなかったが、息子であるバンブービギンがこれを制し、見事父の雪辱を果たした。
トウルビヨン系の Clorhidratante は亜ダービーのほか、ウルグアイのGIホセ・ペドロ・ラミレス大賞を制しており、後に米国に移籍して勝ち星をあげている。チリの Marimbula もエルダービーのほかラスオークスなどGI3勝をあげて北米に移籍しており、GIサンタマルガリータHを制した。母としては多くの産駒を残すことはできなかったようだが、そのうちの1頭が未勝利ながら日本に種牡馬として輸入され、札幌2歳Sのモエレエスポワールなどを出した*マジックマイルズである。
チェコダービーの Cedros が出たガリアール系は St. Simon の父 Galopin から枝分かれした系統で、主にフランスで発展。その末裔の*ラヴァンダンは英ダービーの勝ち馬で、後に日本に輸入され天皇賞のヤマニンウェーブなどを出した。その*ラヴァンダンが日本に渡る前に残した産駒が父 Mehari で、ポーランドで種牡馬入りし、現地のリーディングに輝いている。
Organa at 22:53|コメント(6)|サイアーラインで辿る世界ダービー史
この記事へのコメント
1. Posted by ノエルザブレイヴ 2022年08月18日 17:06
バンブーアトラスが日本史上最後のセントサイモン系ダービー馬ということになりますね。私が競馬始めた頃(1998年)はバンブーアトラス自身がまだ現役バリバリの種牡馬でしたから改めて血統情勢の変化の激しさを感じます。
2. Posted by Heyden 2022年08月18日 18:45
Gato Del Solが40年前ですか
ビワハヤヒデの血統表をあちこち舐めてマイナーなラインに興味を覚え調べものをした時に出てきた、遠い記憶が甦る名前でした(そして案の定衰亡
ビワハヤヒデの血統表をあちこち舐めてマイナーなラインに興味を覚え調べものをした時に出てきた、遠い記憶が甦る名前でした(そして案の定衰亡
3. Posted by あ 2022年08月18日 20:39
ミホシンザンが居るからGato Del Solが最後のボワルセル系の一流馬というのは異議あり
4. Posted by vx 2022年08月18日 22:07
ペルーはAeropagoの産駒が前年に続いてダービー連覇してるんですねこれ
5. Posted by Organa 2022年08月18日 22:52
>あさん
記述を変更しました。
>Heydenさん
シャルードの母父が Cougar でしたか。シャルードもビワハヤヒデの一発屋に終わりましたし、もともとそういう運命だったのかもしれませんね。
記述を変更しました。
>Heydenさん
シャルードの母父が Cougar でしたか。シャルードもビワハヤヒデの一発屋に終わりましたし、もともとそういう運命だったのかもしれませんね。
6. Posted by 名無しさん 2022年08月21日 00:54
Tale of the Cities -> Tale of Two Cities
ですね
ですね