今どきRR?と思ったら傑作だった

コラム・特集 車屋四六

WWⅡ以前のルノーは高級車市場で知られた存在だったが、戦後の復興時期にRR(リヤエンジン・リヤドライブ)の大衆車で登場。かつて日野自動車も生産したルノーの戦後第一作は4CV。当時はVWビートルもRRで知られるが、当時FF用の優れた等速ジョイントがなく、必然的にRRという選択しかなかったとも考えられる。

が、61年登場のルノー4ではFFに変身、もうこれでFF路線にと思ったら、56年登場にドーフィンの後継R-8は、なんとRRだった。ドーフィンはドル稼ぎの国策で対米輸出重視だが、4CVでは小さいという要望で生まれた車だった。

当時の米市場は、VWやポルシェ人気で、RRが認知されていたから、そのあたりを踏まえてR-8はRRのままと決まったのだろう。956cc・40馬力で最高速度125㎞。初めての試乗で「大衆車にしては素晴らしいシート」と感心したのを憶えている。

64年にR-8マジョール1100が登場する。写真は羽田国際空港だが、フェンスの向こうに日本航空の新鋭ジェット機ダグラスDC-8・120人乗りが見える。警備員もいない長閑な時代だった。

羽田国際空港で試乗車ルノー8マジョール1100撮影:当時の日本航空はダグラス製ばかりで、レシプロ四発のDC-7の次に登場したのが120人乗りジェット機DC-8だった。

そんな64年は、日本では昭和39年で、10月開催の東京オリンピックに向けて突貫工事の真っ最中。9月、ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル開業。10月1日、念願の新幹線開業、羽田~浜松町間モノレールも開通した。

マジョールはドーフィンベースらしくWBが2270㎜と同じ。全長3995x全幅1490x全高1410㎜・直四OHV・1108cc・46馬力・4MT・最高速度134㎞で米市場重視らしく3ATもあった。

世界では「もっとも進化した小型車」と評判も良く、サーボ付き四輪ディスクブレーキが斬新だった。試乗の印象は、高い車高らしくゆとりあるキャビン、ごつい姿とは裏腹にソフトな乗り心地。前方ボンネット下に少しだが荷物が入るようになった。乱暴に扱うと急激なオーバーステアになり、リアがグリップを失いジャジャ馬になるが、それを楽しむルノーマニアもいた。
マニア向きには65年髙出力のゴーディーニが登場し、マジョールも1250cc・95馬力・最高速度170㎞になり、富士や船橋のサーキットで走る姿を想い出す。

当時世界最大パンアメリカン航空はボーイング。1966年その120人乗り707型で訪欧しパリで撮った写真にR8が二台写っていた。

 

64年の日本を更に加えると、BSから{新高速タイヤ}の名でラジアルタイヤ登場・平凡パンチ創刊。また6月16日の新潟大地震には自家用機のオーナー達が緊急物資を空輸、私のパイパー機も医療品を積み、着いた新潟空港では滑走路の割れ目を避けながらの着陸は緊張の連続だった。液状化現象地盤沈下で空港建物が半分埋まっていた。

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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