戦艦三笠とブルーバード910

コラム・特集 車屋四六

近頃は其処には入れないようだが、1979年頃は新車ブルーバードでコラボ写真が撮れた。そもそも横須賀に係留される三笠は、日本海軍が発注し1899年に英国ビッカース造船所で起工。1902年完成。東郷平八郎司令官の日本連合艦隊旗艦として日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した戦闘艦=戦艦として知られている。

ブルーバードSSSハードトップと戦艦三笠の後部/1979年:最後のFR・最後のフェンダーミラー。七代目ではFFとドアミラーになる。

全長131.7m・全幅23.2m・排水量1万5140トン・1万5000馬力蒸気機関×二基で最高速度32㎞・30糎主砲四門・八粍砲20門・45糎魚雷発射管四基・装甲=最新クルップ社製225ミリ鋼板・乗員889名 といった諸元である。

日本海海戦は1905年/明治38年5月29日、見張りの信濃丸から、「敵艦見ゆ」との発信を端緒に、名電報「本日天気晴朗なれども波高し」・「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」で、戦艦三笠にZ旗が揚がって戦闘の火蓋が切られた…結果は世界海戦史上稀に見る完勝で、日本海軍の勝利となった。

WWⅡが終わると三笠は進駐軍のダンスホールになり荒れ果てたが、58年三笠保存会が結成されて、61年にレストアが完了したが、それには米軍も協力したと聞いている。

均整が取れたブルーバードSSSと船艦三笠:当時最新の二連装の主砲は口径30糎・その後ろの艦橋に東郷司令長官が立っていたのだろう。

さて写真のブルーバードは歴代中傑作の一台で、ブルーバードとしてはオーソドックスな最後の後輪駆動のFR形式だった。

ちなみにブルーバードの歴史をたどると、提携したオースチンの技術をベースの初代310は伝説的名車として名を残す。
二代目410は斬新すぎたピニンファリナのスタイリングが日本ユーザーに理解されずに失敗作となり、米国日産片山豊のリクエストが盛り込まれた三代目510が成功作となり、日米両市場で好評、しかも念願だったサファリラリーに総合優勝、チーム優勝という栄冠にも輝いた。

四代目Uは間延びしたスタイリングが嫌われたのか不人気だったが、五代目で人気回復。で満を持して79年11月に登場したのが六代目の910で、人気は発売翌年の80年・19万6316台→81年・18万3862台→82年・15万3274台でドル箱的存在となった。

910は4ドアセダンと美しい2ドアハードトップの二種。Z型エンジンは1.2ℓ・1.6ℓ.2ℓで、最上級2000SSS・EXが169万8000円。写真のSSS・Zハードトップは163万8000円だった。

全長4510×全幅1655×全高1370㎜・直四DOHC1952cc圧縮比8.5・120馬力。操舵は斬新なラック&ピニオン・四輪ストラット/後輪セミトレーリングアーム。

910は今見ても均整の取れた美しい姿だが、その背景に写る戦艦三笠も兵器としての均整取れた機能美の持ち主だと思う。そんな男前が77年の差を超えて並んだのも何かの縁、今では撮れない貴重なポートレートだと思う。

参考迄にブルーバードの4ドアセダン:写真の車はディーゼル仕様/リアフェンダーに電動伸縮アンテナ/於報道那須試乗会。

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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