学生時代に祝いと呪いの違いに関心を持って研究をしていたことがあります。

 

「祝い」というのは子どもの誕生日パーティーであったり、あるいは新築のお家を建てた時に餅を撒いたりとか、そこには何か「当たり前に来たわけじゃないこの瞬間を、みんなと共に喜ぶ」という儀式ですよね。

 

対して、呪いというのは、どうしてもそういう「輪の外の居住者」から寄せられるものとも言えるものです。

 

単純に「祝い」が良くて、「呪い」がダメなんてことは1㎜も思ったことがないし、僕自身は「輪の外の居住空間」を「やったー、好き勝手できるぜ」と喜んできた人間です。

 

ただ、ここにきて「祝いと呪いは似ている」と思ったのです。

 

たとえば

 

「あなたのためを思って言うけど」

 

という台詞は、本当にその人のためになることもあれば、その人を傷つけ、支配するために用いられる言葉でもある。

 

なんとなく僕が最近思ったのが

 

祝いの言葉というのは、「立ち去る準備のある言葉」だと考えます。

 

それに対して、呪い側の言葉は「そこに残るための言葉」なんじゃないか。

 

「あの人にキツく言われたけど、ちょっとこんなんじゃ終われないと思えた!」

 

と感じたら、それは言った側の人がちゃんとその叱責を終えた後に「ちゃんとひとり立ちしていきなよ」と応援してくれている言葉であった可能性が高い。

 

でも、言われたことがずっと残って気持ち悪さを感じるというのは、立ち去っていない、そのまま影響力を残したいという呪いの言葉である可能性が高い。

 

風通しの良さがあるのか。それとも、ジメッとしたカビ臭さがあるのか。

 

呪いがあんまりない人の口癖って、「あれ、私そんなこと言ったっけ?」だったりします。大体自分で喋ったことを忘れている。本人が別に他人への影響力をそこまで重視していないから。

 

もっと大物だと、「あれ、私そんなこと言ったっけ?」と言いまくって、周りが疲弊しまくるパターンもあるから、その場合は「本人は祝いだと思っているけど、周りは呪いとして受け取る」という厄介なパターンもあります。

 

自分は自分でやることがある人は、そこまで他人への影響力を気にしない。

 

他人への影響力を気にしていく場所から、重さは入り込んでくるのかぁ。