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「人間の脳」は「神の脳」の劣化版 [メイン【6周目】]

神の脳は、目や耳などから得た情報や感じたことの全てを記憶として残せていて、その上で、さらに、「何度も見たい記憶」を思い出しやすくするために部分的な記憶に「ランク付け」を行って、「全部の記憶」「重要な記憶」「最重要な記憶」という風に整理をして、常に、自分で自分の記憶を簡単に思い出せる状態になっている。

「自分の脳」なのだから「自分が望む形」になっているのが当たり前な話で、もちろん、神の脳は、そうなっているのです。

人間の脳が、簡単に記憶できなかったり、すぐに忘れちゃったり、忘れたくても忘れられない嫌な記憶が残り続けたりして「自分が望まない形」となっているのは、神が教育用に作った「神の脳の劣化版」である脳だからなのであって、もちろん、神の脳は、簡単に記憶できて忘れないし、自分が「いらない」と判断した記憶は簡単に消去できる脳となっている。

当たり前のことが当たり前に出来ているのが、「神の脳」なのです。

神の脳は、宇宙を丸ごと記憶できる程の「膨大な記憶容量」を持っている脳であり、宇宙を丸ごと処理できる程の「驚異的な処理能力」を有している脳であり、だからこそ、全人類の記憶を丸ごと余裕で保存することが出来ている。

「神の脳」の1部分を借りた状態で記憶できている「人間の脳」の場合は、「教育用の脳」であるがために「神の脳」よりもはるかに劣るスペックとなっていて、だからこそ、人間は、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という、おかしな生き物となっているのです。

「人間の脳」の場合、「短期記憶」と「長期記憶」に分けられていて、重要な記憶が「長期記憶」の方に残されていて、一見、使いやすく整理されているように見えるけど、使いやすくはない。

「神の脳」みたいに、「まず全てを記憶して全てを思い出せる」という「第一段階」が抜けてしまっているのです。

「走馬灯」を見ている時、「人間の限界」を越えて、無理矢理こじ開けて、「自分の鮮明な過去」を見ているのだけど、緊急時だけじゃなく平常時でも、この機能を使えたとしても何の不都合もなく、むしろ、有り難い機能であるはずなのです。

暗記テストの時に、「走馬灯」という機能を活用すれば、簡単に100点が取れるようになる。

なのに、「受験の時に走馬灯を見た」という話は、聞いたことがない。

おかしな話だ。

そういう機能が付いているのに、自分の意思では、その機能を発動できない。

出来るはずなのに、「そうなることを強く望んでいる」のに、出来ない。

「一体、誰の願望が実現しているんだ?」って話なのです。

そう、これは、ただ、「人間の脳は神の脳の劣化版とする」という理由で、「人間の脳の作者」である神によって、その機能が閉じられているだけなのです。

もちろん、「神の脳」の場合は、常に、その機能が快適に使えている、ということになる。

使えないことの方が異常で、人間は、かなり不便で使い勝手が悪い脳を使って生きているのです。

人間の脳は100%出来ることを何%かに抑えた「制限装置」なのであって、目的は「脳力に恵まれた者」「脳力に恵まれない者」「サヴァン症候群」など様々な者で彩られた世界にするためであり、それぞれの立場となった時に「どう生きるのか」をテストするためであり、そのために神の手で固定化されているだけの話なのです。

「サヴァン症候群」とは、

自閉症やアスペルガーなどの知的障害や発達障害がある者の中で「特定分野に限って優れた能力を発揮する者」の症状で、

「発明王」と呼ばれているエジソン、

「現代物理学の父」と呼ばれているアインシュタイン、

「日本のゴッホ」と呼ばれている山下清がそうだったと言われていて、

「知的障害」「発達障害」という障害が「世の常識を拒む形」になっているから「新常識を生み出しやすい脳内環境」になっていて、だからこそ、「新たな時代を切り開く役割」を担った偉人に多く見られる「脳の形」だ。

本を一回読んだだけで全て記憶できたり、

絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できたり、

電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来たり、

時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来たりして、

天才サヴァンの人は、常軌を逸した能力を発揮することが出来ている。

画家である山下清の場合は、驚異的な映像記憶能力を持っていて、旅先で見た景色を鮮明に覚えたまま実家に帰って、その目に焼き付いた景色を風景画として見事に描くことが出来ていた。

様々な「脳の形」があるけど、この世に存在する全ての「脳の形」が神の想定内であり、もちろん、神は、「人間の脳の作り手」なのだから、今、ある、「脳の形」で神が知り得ない形はなく、全てが神の手で再現可能な形、ということになる。

神は「全部」の存在であるから

「人間の脳で出来ていることの全てが神の能力の一部分」ということになり、

神は、一度見た景色は忘れないし、

本を一回読んだだけで全て記憶できるし、

絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できるし、

電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来るし、

時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来る存在なのです。

全てにおいて、神が「全部」で、人間は「一部」で、「人間の体」は「神の体」の劣化版であり、神が「人間の体」を作って維持し続けてくれているのだから、「人間の体の仕組み」は神によって完全に掌握されている、ということになる。

「神の脳」が、人間からの「手足を動かしたい」という思考を受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、遺伝子システムを駆使して、人間の手足を動かしている。

神が、人間からの思考を全て受け取って、実現可能なお願いだけを厳選して、代行して叶えてあげているのです。

「人間の脳の仕組み」も、例外ではありません。

あなたが見て聞いて感じた記憶は、まず、「神の脳」へと全て送られて全て記憶されていて、そして、あなたが「自分の記憶」を引き出す時は、「神の脳」に「記憶をくれ」とお願いして、そのお願いを聞き入れた「神の脳」が、「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で「あなたの記憶」を引き出してあなたへと渡している。

若い頃よかった記憶力(記憶引き出し力)がだんだんと衰えていくのは、「老いたら記憶力を衰退させる」という雛形になっているからで、そうなるように、神が、「リミッターの調整」を行っているだけの話なのです。

老いても鮮明に記憶できているのだけど、そのリミッター機能が働いて記憶を容易に引き出せなくなってしまっているだけで、ちゃんと、「神の脳」に、その記憶は鮮明な状態のままで残されている。

走馬灯を見ている時は、そのリミッターが一時的に解除され、一瞬だけど、その記憶を見れている、ということになる。

そして、もちろん、「神の脳」の場合は、リミッターが全て解除されている状態が通常運転であり、常に各種機能のONとOFFを自由に選択できる状態であり、ずっと老いなくて、ずっと記憶力が衰えなくて、未来永劫、ずっと快適な動作環境のままであることは、言うまでもありません。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)
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