※前回の補足です。
遺骨を練り込んだものは表現を変えると遺体の一部ですが、それだけでなく人間の髪の毛や歯もそうです。
昔の供養塔には髪の毛や歯が納められており、古来から遺骨と同じように扱われてきました。
遺骨や髪の毛を保管している親戚がいる、知人がいる、ということもあるかと思います。
でも、信仰を持っていない、スピリチュアルが嫌いな人なので「やめたほうがいいよ」と言いづらい……というのもわかります。
そこはもう、無理をしなくてもいいと思いますよ〜、というのが、私からのアドバイスです。
「持っておきたい」というのは、その人の考えです。
その人の意思です。
人間には自由意思があって、それは神仏でさえも侵してはいけない部分です。
ですから、神仏も人間の意思を尊重しています。
信仰に浮気がない……
あちこちの神仏を信仰しても、仮に、他の神仏に頼りきりになって、たまにしか参拝しなくなっても、そこの神仏が変わらずニコニコしているのは、そういう理由からです。
意思はその人のものであり、どう考えるのかは「自由」だからです。
なので、私も前回、遺骨を練り込んだものに関して、持っておきたいと思う人もいるだろうなと思ったので、「私だったら……絶対にしないかな、と思います」と書きました。
となると、持っている親戚は? 知人はどうなるのでしょうか? と不安に思われるかもしれませんが、大丈夫です。
どこかで気づきます。
ずっと持っていると、「あれ?」と思うことがありますから、そこで「そろそろ故人に返したほうがいいのかも」と、本人がみずから悟ります。
ちゃんと悟って、返してしまえば、そこから徐々にもとに戻るので心配はいりません。
生まれていない赤ちゃんのお骨も、納骨してあげたほうがいいです。
たとえば、今までだったら「絶対にそばに置いておきたい」「離れたくない」と思っていたのに、ふと「納骨してあげようかな」と思ったり、「納骨してって言っているのかな?」と思ったりすることは、故人から何らかのサインを受け取った、ということです。
覚えていないだけで、寝ている時に故人に語りかけられた、ということもあります。
脳では認識していませんが、魂はしっかり覚えているので、それで心がそのように動いているのです。
お骨の問題はいろいろと難しい部分がありますが……基本は納骨です。
分骨は、どちらも納骨されているので問題ありませんし、形見分けされた遺品もまったく問題ないです。
ペットは、人間とは存在そのものが違うので、こちらは毛をずっと持っていても大丈夫です。
【追記】
ヘアドネーション(自分の髪の毛を困っている人のために寄付することです)や、赤ちゃんの髪の毛で筆を作った、など、生きている間にカットした髪の毛は、亡くなってから切る〝遺髪〟とは違います。
お子さんの抜けた乳歯を保管することも、生きているうちに抜けた歯ですから、ご遺体から取った〝遺歯〟とは違います。
というわけで、どちらもまったく不安に思う必要はございません。
どうぞご安心下さい。
アマゾンでは本日発売です。(発送状況がどうなっているのかは、こちらではわかりません…… すみません)
書店は早いところで7日の発売になる予定です。