親離れ

子どものことが心配…。(子どもがすでに成人)
親が理解してくれない…。(自分がすでに成人)
 

どちらも親離れ、子離れが出来ていない形です。
「子どものことが心配…。」なのは、子どもがいくつになっても親は心配なものですが、そこで口や手を出していることが、『子離れが出来ていない』対象になります。
 

かく言う私(さとう)も、つい最近まで『子離れが出来ない』親でした。
もしかしたら、まだかも知れません。
 

今日は、『子離れ』では無く、『親離れ』について、最近、気が付いたことがあったので書いてみようと思います。
 

子離れも親離れも、その人自身の成長を促される訳ですが、『親離れ』にあっては、自分の親を超えるためのものなのだと実感しました。
 

背中
成長しなくちゃ

ご両親のことで相談を受けることは多々ありますが、その中で、「親が自分を理解してくれない。」「親から離れたいが離れられない。」「親から昔、言われたことが引っかかっている。」というお話しを聞くことがあります。
 

どれも、両親への情から発せられるものなのですが、この思いを手放すことが、親離れに繋がって行きます。
 

1人の人間として俯瞰してみる

親に何を言っても、理解してもらおうと頑張っても、まったく通じないという親子はたくさんいます。
そこで、「ダメだこりゃ。」と距離をおいて引き下がる人と、「どうしても分かって欲しい。」と食い下がる人がいて、後者の方は、苦しみが伴います。
 

親は親で、子どもをどうにかしたいものだから、しつこく、「なんで?」と聞く訳ですが、違う世界の中で生きる者同士の会話なので、話はかみ合いません。
 

そうなると、どちらかが精神的に向上せねばならず、それには、親や子だと思わずに、1人の人間として俯瞰してみることです。
 

そうすることで、「ぁあ、この人(父や母)は、こういう物の考え方で生きているのか。」と人格を見るようになるでしょう。
すると、「自分と両親とは、考え方も生き方もまったく違うのだ。」ということが分かり、同じ立ち位置でものを判断することがなくなるので、親の言うこともスルー出来るようになります。
 

ライン紅葉

相変わらず親は、「なんで?どうして?」などと今まで気になっていたことを聞いてきたとしても、自分には関係のない話、と聞き流せるので、そのうち親も同じ話をしなくなります。
 

これは、自分自身が成長し、親より次元が上がったことになります。
 

このことを、昔の人は、『親離れ(成長)』という言葉で表現したのかなと思いました。
 

ただ単に、形の上で独立したことは『親離れ』とは言えず、真の『親離れ』は、精神性の成長(親と自分を切り離して考える)のことをいうのだなと、心底理解したのでありました。(『子離れ』も同じですが)
 

『親離れ』、出来ていますか?(と、自分にも問うてみる)
 

算命学講座のご案内

ブログランキングに参加しています

  • 一日一回、応援クリックしていただけると、励みになります。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 にほんブログ村へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前

ウェブサイトURL