お稲荷さんが苦手なんです

の声、よくいただきます。

 

ブログでも以前ネタに

したことですが、

 

また違った切り口から

動画にしました。

 

 

本日はとある人と

目的の無いおしゃべりを

楽しみました。

 

「何か相談があったら

何でもどうぞ!」位の

ことは言われています。

 

昨年ひとつ気になって

いたことがあるんです。

 

「なぜ、これほど

多くの人が

100%叶わない

未来を望むのか?」

 

です。

 

100%無いことを

確信的に話す人が

こんなに多いのかと、

驚くものがあったんですね。

 

薄々は気づいていた。

 

でも実際にそうだよと

 

「可視化」された

1年だったんですね、

僕にとっては。

 

話し相手になって

くれた人は

 

「不合理な期待が

集まる」

 

と表現してくれて、

その言い方よく

わかると感心した。

 

僕はスピリチュアルな

領域にいるけれども

 

現実のことしか、

 

現実にありうることしか、

 

話しません。

 

もちろん僕が

 

「勘違い」

 

 

「認識不足」

 

で、非現実なことを

話すことはありえますが、

 

僕が不可能と思っている

ことを、可能とは言いません。

 

だからこそ

 

「なぜ、これほど

多くの人が

100%叶わない

未来を願うのか?」

 

は悩ましいんですね。

 

スルーするか、

問われたら無理というか。

 

でも、その叶わない

ことが現実になることを

期待する人が多い。

 

そして

 

「できるよ」

 

「そうなるよ」

 

と言ってあげる人もいる。

 

それで喜ぶ。

 

疑いの目を向けるのでなく、

 

「さすが分かっている人!」

 

「分かってくれる仲間!」

 

として扱う。

 

僕の心の声はこう

つぶやきます。

 

「え、でもこれ無理だと

わかったらどうなるんだろう?」

 

そうしたら、

むにゃむにゃっと

よく分からないことに

なった。

 

結局みんな共犯者みたいな

もので、誰か特定の人物を

ウソつきと追求することも無い。

 

決まり悪い表情だけが残り、

 

正解にまわった人達を

裏切り者とみなし、

敵意を持つ。

 

「なぜ、これほど

多くの人が

100%叶わない

未来を望むのか?」

 

な状況は変わらないんです。

 

そんな中

 

自分はどうあるべきか?

 

自分はどうありたいか?

 

基本はけっきょく

変わらないし、

変えようもありません。

 

今日の目的の無い

おしゃべりを通して、

 

姿勢を変えず、

 

「ここに居続けていよう」

 

「スピリチュアルな現実を

お伝えし続けよう」

 

と思った次第です。

 

幸い、同志は沢山

いるのですから。