●きっと幸せな人になれる、大切な事。


中国のほぼ真ん中に、重慶という町があります。

 

四川省の中でも、盆地になっているだけに、

中国でも武漢、南京と並んで「三大火炉」と呼ばれている暑い地域で、

7月の平均気温は28.3度に達し、

中国で最も日照時間が少ない都市のひとつです。





1993年

その重慶市の南東部に位置する酉陽の小さな村に、

 

ひとつの貧しいロンフェン家族が肉屋を営んでいました。

肉屋と言っても、貧しい田舎の事ですから、店などありません。

父親が農家から豚を預かり、屠殺後、郡の都市に売り行くという仕事でした。

17歳になるホーも、

 

父親を手伝って家族4人で何とか暮らしていました。


ところがある日、

その父親が12世帯分の豚肉を売った代金1万元を村人に払わず、

家族を捨てて逃げてしまったのです。

貧しい地域ですから、それは家族のほぼ年間収入に匹敵していました。

父親が逃げてしまった今、村人たちは母親に返済を迫りました。

しかし、母親にはお金などありません。

村人は、母親を庭に引きづり出し、髪の毛をつかみ地面に叩きつけて、

金を返せ!」と迫り狂いました。

その様子を学校から帰宅したばかりの長男ホーが気がつき、

村人達に「母を許してください。」と間に入ってかばいました。

しかし、怒った村人は、ホーを殴ったり蹴ったりして、

ホーは鼻が腫れあがり、口を切って血が流れて倒れました。

大きな負債を負ってしまったロンフェン家族は、

村人達に、私と弟が出稼ぎに行ってお金を稼ぐので、

どうか母親の命だけは助けて欲しいと嘆願しました。

貧しい村では、そんな大金を稼ぐ仕事など無かったのです。

「いいか! 金を送らないと、

 お前のお母さんを、ぶっ殺すからな!


こうして、長男ホーと弟、それにもう一人貧しい村の青年の3人は、

村を出て、江蘇省へと出稼ぎに行きました。




しかし、何の当てもなく出稼ぎをするというのは、無謀な行為でした。

コネも無い。家も無い。保証人もいない。持っているお金も少ない。

 

しかも、まだ17歳。

雇ってくれる会社など無かったのです。



やがて、3人のお金はつき、無一文になってしまいました。

家もありません。身寄りも無い3人は、乞食になってしまいました。

仕事どころではありません。生きていくだけでも難しくなりました。

もう一歩も動けなくなってしまった2人の為に、

長男のホーは、通りに立ち、通りすがりの人々に物乞いをしました。


しかし、若い男にお金を恵んでくれる人など居なかったのです。

3人は、もう3日間も何も食べていませんでした。

「少しでもいいです。

 お金を恵んでください。」

そんなホーに立ち止まってお金を恵んでくれる人はいませんでした。

それよりも、男なら働けよ!と突き飛ばされ、道路に倒れ込みました。

 

 

ホーの足は傷だらけになり、もう一歩も歩けない。

 

「母さん、もう僕ダメだ。ゴメンね。」




その時でした。

 



道に脇に倒れ込んでいたホーに、声をかけてくれた人がいました。

「あなた、大丈夫?」

 



「足に怪我もしてるじゃない。」

「いいわ。ウチにいらっしゃい。」

 

彼女の名前は、ダイ・シンフェン

両親との3人暮らしの20代の女性でした。

彼女の家庭も家はあるものの、貧しい家庭でした。

 

医者に行くお金はありませんが、彼女はホーの足を精一杯の手当てをしてあげました。

 

そして、家にある目いっぱいの料理を振る舞ったのでした。



豪華な料理を目の前にして、ホーはなかなか食べませんでした。

「どうしたの? 3日食べてないんでしょ?」

すると、ホー・ロンフェンは、

「あと2人いるんです。 弟が・・・」

それを聞いた彼女は、

「あとの2人も連れてらっしゃい。」そう言ってくれたのでした。



今まで、父親に捨てられ、村人にボコボコにされた長男ホーは、

世の中には、良い人などいない。」と思っていました。

それなのに、

自分たちも貧しいのに、私の様な他人にこんなに良くしてくれる人がいる。

ホー・ロンフェンにとって、他人から受けた初めての優しさだった。


シンフェンは、彼らに帰る家が無い事を知ると、

ここでゆっくり休んでいいのよ。と家に泊まらせてくれたのでした。




それだけなく、彼らが仕事を探して困っているのを知ると、

代わりに彼女が頭を下げて仕事を探しに方々に聞きに回ってくれたのです。



当時彼女は、ボタン工場の会計士でしたが、他の工場も回って仕事が無いか聞いてくれたのでした。

「世の中には、良い人などいない。」と思っていたホー・ロンフェンはシンフェンに聞きました。

「どうして、こんなに親切にしてくれるんですか?」



すると、シンフェンは、

「どうしてって、

 困った時は、お互いさまでしょ。」と言ったのでした。





結局、彼女が町中を聞き回っても一人分の仕事を見つける事しか出来ませんでした。

すっかり元気になった3人は、シンフェン姉さんにお礼を言うと、

遼寧省(りょうねいしょう)の省都・瀋陽(しんよう)に行って仕事を見つけると旅立つ。

そして、旅立ちの朝、

「お世話になりました。

 この御恩は一生忘れません。」

シンフェン姉さんは、3人の列車のチケットを買ってあげ、

少ないけど、これ」と、

3人に一人づつ10元札を手渡した。

 

そして、シンフェンは最後に彼らにこう言った。

「忘れちゃダメ。

 大切なのは、いつも誠実でいる事。

 お金持ちに、ならなくたっていい。

 心の綺麗な人になってね。

 きっと幸せな人になれるから。

 



その後、ホーは、何でもしまうからと、必死に仕事を探し、必死に働いた。

しかし、中には、給料を払わずに踏み倒す雇い主もいた。

あまりの理不尽に、殴りかかろうとしたが、

そんな時、シンフェン姉さんが最後に言ってくれた言葉を思い出す。

「大切なのは、いつも誠実でいる事。

 心の綺麗な人になってね。」

その言葉を思い出して、ぐっと気持ちを押さえて頑張った。

ホー・ロンフェンは、母親に仕送りしながら、シンフェン姉さんにも手紙を出した。

「シンフェン姉さん、

 やっと生活できる様になりました。」

しかし、手紙はシンフェンには届かず、戻って来てしまいました。

どうやら、貧しかったシンフェン姉さん家族は引っ越した様だったのだ。



生活にも余裕が出来たホーは、

もう一度シンフェン姉さんに会いたい。

シンフェン姉さんに会って、お礼がしたい。と思う様になりました。

何年も探し続けました。





それから出会ってから20年が過ぎたある日。

シンフェン姉さんは、結婚して夫と台州に小さなラーメン屋を開いていました。

その時、後ろから彼女に声をかける人が・・・・・


「あのう、すみません。」

「シンフェンさんですよね?」


「はい」


「ロンフェンです。」



「えっ、あの時のホー・ロンフェン?」




「随分、立派になったのね。」

 

そう・ホーは、20年間ずっとシンフェンさんを探し続けていたのである。

そして、この日、とうとうシンフェンさんを探し当てたのだった。


「シンフェン姉さん、

 この20年間、どんなに辛い事があっても、

 あの時の姉さんの言葉が、僕を支えてくれました。


「貴方に出会うまで、

 人は、皆冷たいものだ。敵だと思っていたのです。

 でも、

 貴方が、人を信じる事を教えてくれました。



それを聞いたシンフェン姉さんは、

「お腹空いてるでしょ?」


「姉さん、

 今日は姉さんに返したいものがあるんだ。」

そういうと、彼女に封筒と渡しました。


「何かしら?」

封筒を開けると、中に以前貰った10元札が・・・・・


「返してくれなくて良かったのに。」


しかし、良く見るとその10元札の後ろに、

なんと、100万元の小切手が・・・・・

 



現在の日本円の価値にすると、1500万円の小切手である。

(当時の中国の物価からすると、7500万円相当の価値だった)


実は、ホーは、その後家具の商売で大成功し、

家具工場を2軒と塗料メーカーを傘下に持つグループ企業の社長にまでなっていたのである。

 

 

ちなみに、ホーはこのお金を恩人にあげる事を妻に相談すると、

妻は二つ返事で賛成したという。



しかし、シンフェン姉さんは、小切手を受け取らなかった。

「これは、受け取れないわ。」

「どうして?

 僕の気持ちなんです。お願いします。」


「私は、お金を貰う為に、貴方を助けたんじゃないの。

 人が人を助ける事に、お金はかからないわ。」


恩をお金で返そうとした自分を反省したホーは、

シンフェン姉さんに1つの書を送った。




その様子が中国全土に伝わると、それが感動のニュースになり、

 

ラーメン屋は大繁盛したという。



その後、二人の交流は家族ぐるみで旅行に行ったりと

今も交流が続いている。

 



END

参考:
http://sy.wenming.cn/jjsy/201410/t20141009_1388989.html
https://sunnews.cc/history/346500.html
奇跡体験アンビリバボー 20年の時を経た奇跡の恩返し 12月4日