言葉と
それを発する人の信頼性とは

同じ言葉でも誰が言うのかで
まったく違ってきます

同じ経験をしたもの同士ならば
わかりあえる、ことも多い









東大受験対策に困っている人は
東大卒業生に相談するのが一番だ

『そうそう、私もそうだったよ
わかるよ、わかる!
でもさ、だいじょうぶだからね!』

そう言ってもらえると安心する



妊婦さんの不安は
子供を三人も四人も産んだ人に聞いた方が一番良い

『そうそう、私もそんな不安があったけどね、わかる、わかるよ、
でもだいじょうぶよ!』

そう言ってもらえると安心する


お金持ちになりたかったら
元々お金持ちの人ではなくて
お金持ちになっていった人に聞くといい



『そうそう、こうやってああやって
こんなことして、あんなことすれば
お金持ちになれるよ!
稼げるようになるよ!』

そう言ってもらえるとやる気になる



そうね
相談するならその経験者が一番


たくさんの波乱万丈な人生を生きてきた人はいわば人生の家庭教師みたいなもので
だいたいの人の悩みをわかってあげれたりする


たとえば
大手術を繰り返してきた人にとっては
転んで三針縫う、なんてのは
なんでもないことだ

転んだこともなければ
傷を縫う、なんてこともなかった人にはそれだけでもショックだろうけどね

悩みの大きい小さいは無い、っていうけど

それでも
慣れ、というものはあるものだよ

ひとつ悩みを体験すると
その出来事には
慣れていき、別段驚かなくなっていく

驚かなくなっていくが
どこかで悲しみは蓄積されていく

親に捨てられた子は
親がいないことに恐怖と寂しさを感じるが
生きていかなくてはならないから
必死にその悲しみを押し込めていく

そんな経験をした人は
人に捨てられた時の悲しみに寄り添えるだろう

だから
痛みのある経験をした人は優しくなれるのだと私は思う


そして相談した側も
その都度
その人その人で
傾向と対策は違ってくるものだ

だからアドバイスはそれとしてありがたく受け止めておいて

あとは自分の判断で決めていくしかない


最後の最後の心のよりどこは

だいじょうぶ、という
この言葉

なにがだいじょうぶなのかはわからない


恋人のどこが好き?と聞かれて
『どこって。。
全部好き💕』

・・みたいなね


いわゆる
根拠がないのよ

同じような体験をしたもの同士であっても
その人はあなたではない

最後は自分で自分に寄り添うのだ

自分自身に寄り添う時に

だいじょうぶ、という魔法の言葉をかけてあげること



それが
上の人(神様)や
後ろの人(守護霊さん)に
おまかせする、ということ


そしてまた
あなたの生きてきた体験が
誰かのものすごいヒントになる、ということ

たくさん悩み苦しんで来た人ならではの
気づきや腑に落ちる部分がたくさんあるから

そこに共感してくれる人があらわれる

あなたの体験が誰かの勇気になる


順送り

恩送り


あなたの生きてきた過去がキラキラ輝く宝になるのだ

後に続くものが
あなたをヒントにしながら
前に進むのだ

こうして
人は繋がって生きていく

今は
ブログでも本からでもその体験をもらうことができる時代

素晴らしい時代

愛と感謝の時代

人ごとじゃないよ

いま、すでにあなたは
その世界にいるからね

今日もこの世を体験しに出かけよう!

痛みも苦しみもそこにはあるかもしれないけど

それでも



だいじょうぶ

だいじょうぶ



あなたを愛しています





奄美大島の今朝の朝陽‼️‼️




ものすごいエネルギーとパワー‼️



奄美大島の神の波動

あなたに届け‼️





ぴこ

らぶ❤️