あなたは私~2人の「のぞみ」と教育虐待

人生:スピリチュアルブログ
写真AC

高校落ちたらアンタの人生は終わるんだからね!

上は、中学3年生の時に母から言われた言葉です。
つまり、進学校に入れなかったら、私の人生は終わると。

すごいこといいますよね~。
びっくりします。

高校くらいで人生決まってたまるか~!
って思えるのは、今私がもう大人だからです。
そして現在に至るまで15年以上、学歴のまーったく!必要のない仕事をして食っておるからです。

しかし、15歳の私にとって母の言葉は「絶対的真実」でした。
私は受験に失敗したら、もう終わるんだと。
毎日が薄氷を踏むような恐怖の連続でした。

でもね、インナーチャイルドワークを積み重ねて認知の歪みを矯正してきた今はこう思うんです。
「受験失敗で終わるのは、私の人生じゃなくてお母さんの人生だよね」と。

その頃の母は、もう父の出世には見切りをつけていたのでしょう。
そうなったら、自分の価値を証明するのは「子どもの出来」。
だから「娘が進学校に入らなかったら、私の人生はおしまいだ!」というわけです。

いわゆる、子どものアクセサリー化。
「教育虐待」ですね。

自分には価値がない。
だからこそ「出世した夫」や「優秀な子ども」で飾らねば、自分の無価値さがばれてしまう。
母にはそんな恐怖があったのでしょう。

親が「子どもの約束された将来のため」との名目で、受験勉強を無理強いしたり、日常生活を束縛したりする教育虐待の被害は後を絶たず、専門家も警鐘を鳴らしている。

明治大の諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)教授(臨床心理学)は教育虐待について、「子どもが別人格であることを認められず、親が自らの職業選択や進路の願望を押しつけてしまう。子どもが勉強しないと罵倒し、教育面で支配したり、拘束したりすることが起こる」と解説する。こうした問題は、特に同性の親子間に見られるようだ。

医学部受験で9年浪人 〝教育虐待〟の果てに… 母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態 | 47NEWS

母を殺した もう一人の「のぞみ」

2018年3月、滋賀県の河川敷で女性の死体が見つかりました。
殺人の容疑で逮捕されたのは、女性の娘。
彼女の名前は「のぞみ」。

私と同じ名を冠する女性が、過干渉の息苦しさに耐えられず母親を殺す。
他人事とは思えませんでした。

2020年3月に大津地裁で出た判決文には、母親から受けた心理的虐待の様子が生々しく記されています。

「で?」「あんたが我を通して私はまた不幸のどん底に叩き落された!我を通して不幸になる!まだ分からないのか?」

「国試が終われば,あんたは間違いなく裏切る。母はニべもなく放り出される。だから母はあんたに復讐の覚悟を決めなければならない。母の生きた証だよ!」
「ウザい!死んでくれ!」
「死ね!」
など,被告人が国家試験に合格して看護師になることを許さない旨を強く示したり,激しく被告人を罵倒したりするメールを送信していた。

令和2年3月3日 大津地方裁 判決文

母親から医師になることを望まれ、監禁生活のような(監視されて、入浴まで一緒にする始末)浪人生活で9浪もする。
実際は不合格なのに、医学部に合格したと親戚には嘘をつく(口裏合わせを強要される)。
看護師になりたいと言ったら、ブチ切れられる。

これね~本当に、胸が痛くなるんですよ。
気持ち、わかるから。

だって、私が親と縁を切ったのは「これ以上親と関係を続けていたら、私は親を殺してしまう」と思ったからです。

親と関係を続けていたら、わたしも「第二ののぞみ」になっていたかもしれません。母を包丁で刺していたかもしれません。容易に想像がつきます。

のぞみさん、あなたは私です。
もう一人の私です。

スピリチュアルな言い方をするなら、私が親を殺すパラレルワールド(平行世界)だってあったでしょう。でも、私はそれを選択しないで済んだ。その要因の一つに、大学卒業からほぼずっと一人暮らしをしていたということが挙げられるでしょう。少なくとも親と生活空間を共有しないでいられた。それは大きいです。

なぜなら、そういう殺意というのはたまりたまったものがある時に「ふっ」と心が無になっちゃって出てくるものだと思うからです。一緒に暮らしてたら、「ふっ」と思った瞬間に包丁を手に取って刺せます。でも、離れて暮らしてたら「ふっ」と思ったところで、実家に行くまでの労力がデカすぎて正気に戻るんですよ。

私が「親を殺したい」ではなく「親を殺してしまう」と書いたのはそういう意味です。意図をもって決意して「殺すぞー!」じゃなくて、ふとした瞬間にプチン、ってキレていつの間にか殺してる。それが一番恐ろしかったんです。

「のぞみ」さんはtwitterで母親を殺した直後にこんな投稿をしています。

ぽん太のおかんさんはTwitterを使っています 「モンスターを倒した。 これで一安心だ。」 / Twitter

実はね、この後になんてことのない調子でドラマの感想をツイートしてるんですよ。
多分、母親の死体の横でのぞみさんはドラマを見ていたのですよ。

これをサイコパスすぎるとか異常者だとか思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私はその気持ちがわかります。もう追いつめられすぎて頭がおかしくなっちゃってるんです。だって、頭おかしくないとそもそも殺人とか無理でしょ。

「高校落ちたらアンタの人生は終わるんだからね!」

こんな言葉を母親からぶつけられた私は、のぞみさんの気持ちがわかります。
頭おかしくなるよね。殺したくなるよね。わかる。

でも、やっぱり私は殺したくなかった(そんな親のために人生棒に振りたくなかった)ので、縁を切りました。逃げました。

のぞみさんも、逃げられれば良かったのにね。
でも、がんばったんだよね。
お疲れ様でした。

子どもをアクセサリーにしたい毒親たち~私が見た教育虐待

それにしても、この「医学部に入れ、医者になれ」という教育虐待。
私の周りだけでも複数目撃しています。
どれも闇が深いです。

友達の弟は22歳になっても、つまり3浪か4浪してもずっと受験生を続けていました。話を聞くと「医学部目指してるから」とのこと。でも、正直、全然勉強してる感じがないんですよ。友達の家いっても、大抵はうつろな目でゲームをしているのです。受験生というより引きこもりという感じ。

また、高校の友達は「自分は慶応に入る」と言っていました。
しかし、まああの、失礼なんですけどどう考えても無理なんですよ。その子の成績でこれから慶応を目指すなら、もう超絶猛勉強しなきゃ厳しいんですよ。

でも友達はカラオケに行ったりボウリング行ったり、ふっつーに遊ぶんですね。1月2月までそんな感じで、当然不合格。そしてすべりどめのFラン大学に入学してもまだ「いや、本命は慶応だから」と仮面浪人しては3回も落ちてました。

「ちょっと意味わかんないな」って不思議だったんですよ。慶応いきたいなら、別にそれはそれでOKなんだけど、なら勉強すればいいじゃないと。勉強しないのに口だけ「慶応にいきたい」っていう気持ちが理解できなかったんですね。

ですが、のちに友達の弟が医学部を目指して3浪していることを知ります。そこで私は「なるほど」と合点がいきました。「そういう家」だったんだと。

つまり、ハイレベルで見栄えの良い大学に子どもが入らないと親が許さない。そういう家庭だったのでしょう。だから友達は口先だけでも「自分は慶応に行くんだ」と言わねばならなかったのです。

この滋賀の毒親殺人事件で、殺された母親は医師を上に見、看護師は「下の仕事」と見下していたようです。

「母の友人にNさんがいます。少し母より成績が劣っていたようですが、看護学校に行き、現在も看護師としてばりばり働いているそうです。母からは、看護師は介護士のように下の世話もしなければならない過酷な仕事と聞かされていました。今でこそ、新型コロナ流行もあって社会的に意義のある仕事というイメージがついていますが…。それから、母の実母の再婚相手が歯科医でした。医者が社会的に認められているのを肌で感じていたのかもしれません。まとめると、母は自分の学歴へのコンプレックス、看護師への偏見、医師への尊敬があったのだと思います」

医学部受験で9年浪人 〝教育虐待〟の果てに… 母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態 | 47NEWS

このくだりを見て思い出したのは、吉田秋生の名作マンガ「海街diary」。
2巻で地元の名士である藤井病院のお嬢様が出てきます。そのお嬢様は、看護師になりました。しかし、母は医師にならなかった娘を恥とみなします。

「叶わなかった夢、子どもにたくす」
そんなことが美談として報じられることがあります。
いや、今だにあるんです。よりによって有名な新聞の見出しになってたりして、びっくりしてしまいます。

でも、背負わされる子どもの立場に立ってみてください。
それ、重いんです。
辛いんです。

自分のトラウマは自分で背負うべきものであって、パートナーや子供に背負ってもらうものではありません。夢を持つことは素敵なことです。でも、それは自分で叶えてください。他者に託さないでください。たとえそれが配偶者や血のつながった子どもであっても、です。

自分の病歴や過去のことをこと細かに伝える必要はありません。
細かに伝えないというのは、ウソをつきなさいとすすめているのとは違います。あなたが言いたくないことをすべて隠して、特別な女性になりすまそうなどとしてはいけません。そうではなく、伝えるのであれば時期を見て、簡潔に伝えてくださいということです。(中略)

そういった事情をメソメソと伝える必要はないのです。
さりげなく一言でさわやかに伝える知恵と自制心とを持ってください。
あなた自身で負うべき問題なのですから、惨めさを彼に話して救ってもらおうなどと、考えるべきではありません。

The Rules Japan 恋と結婚の“ルールズ” p46 太字強調は記事作成者による

父親の不在がもたらす歪み~不健全な母子関係を切断する男性性の役割

ペルセウスが海獣を倒してアンドロメダを救う。
スサノオがヤマタノオロチを征伐しクシナダヒメを救う。
神話の世界の英雄譚には、モンスターを倒すことで姫(女性性)を救いだすモチーフが頻出します。

そして、ここでのモンスターというのは、一般的には「太母的なエネルギー」、つまり母殺しを象徴するのです。太母的母親の呑み込む(子を包み込む)行為を切り捨てる――否定することで、人は精神的自立を勝ち得る、そして、大人としてふさわしい形の女性性と結びつく(姫が救出される)ことができる、といわれます。

そうなんですよ。
ドラゴンクエストってーのは、実は「母親殺し」を示すんですよ!

西洋の神話世界で竜殺しは母親殺しという話ですが、西洋文化が入りこんでいる日本でもその側面はあるでしょう。だって、ドラクエやって母親とベッタリというわけにはいかないでしょう。

今はゲーマーの母親がいて一緒にドラクエをやるだなんてこともあるでしょうけれども、昭和の小学生にはドラクエをやってる時間は「母親から解放されて自分だけの世界にひたれる大切な時間」でした。ドラクエをすることで、過干渉の母親のネットリした息苦しいエネルギーから逃げることができたのです。

このように、発達段階で何らかの「母殺し」のプロセスは必要になってきます。とはいえ、滋賀の事件のように現実で命を奪ってしまうのは極端なケースで、基本的には心理的に(リアルではなく心の中で)母親を殺すプロセスが必要なんですね。

母親殺しのきっかけをくれるのが「竜殺しをする若者」、すなわち男性性との出会いです。

古典的なフロイト心理学の観点では父親が男性性を示して母子の癒着を切断すると言われます。しかし、母子癒着が起こってしまっている家庭では、かなりの確率で父親の存在感が薄い。だから、母子癒着の娘は精神的自立を果たせずに苦しむことになるのです。

スサノヲの神話は英雄による怪物退治の典型的な物語である。ギリシャ神話では、英雄ペルセウスが怪物の餌食となるはずだったアンドロメダーを救うために、怪物と戦って殺し、その後に彼女と結婚している。

西洋にはこれと類似のパターンを持つ伝説や昔話が多い。スサノヲの話は、彼が獲得した剣を姉のアマテラスに贈ったという点をのぞいて、まったくこの英雄物語のパターンと同様であることがわかる。

このような英雄神話についての心理学的な解釈として、ユング派の分析家エーリッヒ・ノイマンは西洋における近代的な自我確立の過程を示すものと考えている。(中略)

つまり、この物語のなかの男性の英雄は、そのような自我の象徴であり、彼が退治する怪物は「母なるもの」とも呼ぶべき、常に自我意識を呑み込んでしまう力を持つ存在である。

それを殺すことによって関係を切断し、独立することが必要である。
そして、その後に女性的なものと再び結ばれ、孤立することなく世界との関係を維持しつつ自立する、と考えるのである。

神話と日本人の心〈〈物語と日本人の心〉コレクションIII〉 (岩波現代文庫)  第7章 スサノオの多面性

この滋賀の「のぞみ」さんも、父親不在の家庭で育ちました。大口病院で点滴殺人をおかした看護師も、母子癒着で母親の言いなりだったそうです。本当は看護師になりたくなくて医療事務につきたかったのだけれど、母親が看護師になれというのでなったのです。

看護師に適性のない人間を無理やり看護師にしてしまったのは、母親の「娘の職業選択にまで口を出す」過干渉によるものでした……。

こうも、母親にベッタリされる、「子育て頑張ってます!」「子育ては親育て!」「子育てこそが生きがいですっ!」系母親に育てられるのは、息苦しく辛い経験となります。
そこを解決してくれるのが男性性の剣、父性の切断の力です。

――といっても、過干渉の母親がいる家庭での父親は、おおむね頼りにならなかったりします。涙
そんな場合、母子癒着に苦しむ娘はどうしたら良いのでしょう?

わかりやすいやりかたでいくなら「恋人をつくって結婚してしまうこと」です。しかも、「母親が気に入らない男」と結婚することです。例として適切かどうかはわかりませんが、あの小室眞子さんを見てみてください。もーう効果てきめんで母親とビッキビキに亀裂入ってるでしょう。

ただし、そのパートナーとの関係が悪化したらその時に「ほらだから言ったじゃないの!お母さんのいうことを聞かないからそうなるのよっ!!」とエネルギー200%で復活されてしまいます。その点を考えると、リスクのある方法です。

もう一つは、「自分の内なる男性性を養う」です。
救ってくれる英雄が現れないというならば、自分の内に育ててしまえば良いのです。これならば誰にも奪えないし、浮気したり裏切られたりすることも無いので確実です。

ただ、自分の内なる男性性と言われても「それってどういう感じかわからない」という方が多いと思います。恋人やパートナーがいる場合は、その相手に自分の男性性(アニムス)が投影されていることが多いので、恋人やパートナーの性質をピックアップしてみると良いでしょう。恋人がいない人は、「自分が惹かれるタイプの男性」や「夢で良く出てくるタイプの男性」を分析してみましょう。

母子癒着されるのはとてもつらい経験です。
しかも、母親に過干渉されることで依存心も育ってしまいます。
その依存心を断ち切り自立させてくれるのが男性性(父性)の力です。

男性的なエネルギー、大切にしてくださいね。
男性エネルギーこそが、母子癒着の娘を救ってくれるのです。

そして、英雄が姫を救ったように、男性エネルギーを発揮した後は抑圧された女性性を解放してあげてください。母子癒着されると女性性は歪んでしまいます。その歪みを解き放つのです。

すると、「ただ在るだけで良い」という感覚がとりもどせます。
そう、とりもどすのです。
それは元々女性に備わった感覚なのですから。

個として生きるということになると、家族のなかで、血のつながりを基礎として生きてきた姿を変えてゆかねばならない。

つまり、ある家族のなかで女性として生まれてきた者は、最初は家族とのつながりのなかで養われてゆくが、そのうちに、母親、父親、兄、などという自分の養育に深くかかわった存在との結合を破ってゆかねばならない。

神話と日本人の心〈〈物語と日本人の心〉コレクションIII〉 (岩波現代文庫)  第11章 均衡とゆりもどし
タイトルとURLをコピーしました