インスピレーションを得るとき 2 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

今日は、いろいろと衝撃的な?日でした。

それについては、また書くことがあるかも。

別に悪いことじゃないんで、ご心配なく。

 

記事は昨日の続き。

 

  インスピレーションについて

 

スピ鈍の私です。

kira*kiraさんなんかは、私のことを「もうスピ鈍卒業」みたいに書いたりしていますが、それはナイ。(笑)

と、繰り返し申し上げておきます。

あえていうなら、〝察している〟だけです。

 

私のいうところの「スピリチュアルな能力」というのは、つまり霊視ができるとか透視ができるとか、なんか聞こえるとか、まあ、そういうのです。

神様とお話しできるとか。

 

私はそういうのは、寸毫もない。

地震の前触れで耳鳴りがあるとか、こういうのはありますが、これは一種の〝体感〟でしょうし。

 

ただ、不思議なことはたくさんあります。

前にもちょっと書きましたけど、鑑定現場では

「いやー、この人の性格なら、〇〇〇〇みたいなこと言いそうです」

「え? こないだ、本当にそう言われました」

とか。

「この運勢状況なら、〇〇とか〇〇みたいなことが起きそうです」

「まさにそうです」

とか。

「この子は、もうすっごく老成しているというか、考え方が大人になっている可能性が高いので、子ども扱いしても……」

「え? 本当にそういう子です」

とか。

「旦那さんの会社、火星関係ですよね。〇〇コンビナートあたりですか?」

「え? 何でご存じなんですか。前に別なところでお会いしましたか」

とか。

 

たぶん、鑑定を受けている人からすると、「なんか見えてない?」「心を読んでいる?」とか、疑われるようなことが、よくあります。

それでも、私は

スピ鈍

なんだよ。うん。これはもう生粋の。

 

これは、9割方、ホロスコープへの理解(あるいはタロット)と語彙の多さゆえです。

ホロスコープの星座や天体について、それぞれ表現するワードがあるわけです。

牡羊座なら、直情的とか熱しやすく冷めやすいとか、

木星なら、寛容であるとか大局的とか、ずぼらとか、

そういうよく言われるワード以外にも、私はすごくたくさんのワード(表現)を持っています。

チャートの状況に応じて、出やすいワードを連想・推理しているわけです。

 

それが、はまるときには次々に(結果的に)的中することがあります。

いわゆる、lock on~♪みたいな現象です。

 

あ、はまりにくいときもありますよ。

ここは正直に言うけど。

 

こういった現象は、私の持っているワード(表現)の量がすごく多いからで、これは

一つは鑑定経験

もう一つは、もともと作家だった

からです。

要するにある気質を表現する、ある星の働きを表現する語彙が豊富なんです。

 

そういう語彙と語彙を、いつも頭の中で結びつけようとするのです。

ただ、これは日常の〝思考〟とちょっと違っているかも知れません。

 

たとえば1+1=2とか、そういうものではなく、こういう感じ!

これは前述の牡羊座と木星の情報です(それぞれの情報の一部です)。

この二つが結びつく、たとえばハードアスペクト的に結びつくのかソフトアスペクト的に結びつくのか、というのでも判断基準は変わりますが、

この二つガスの間を、私の推理が行き来しているわけです。

 

曖昧なガスのような塊の中にあるたくさんのワードと、もう一つの曖昧なガスのような塊の中にあるたくさんのワードが、

どれとどれがマッチングするんだろう?

みたいな感じでリサーチしているんですが、

 

お客様とディスカッションしている過程で、

あるいはディスカッションする以前でもあまりにも明白な場合もあるが、

どっかで、左のガス雲のワードと右のガス雲のワードが結びついちゃうんですよ。

 

何と何が結びつくかは、その時次第なんですが、ふっと結びつく。

 

これが、いわゆるインスピレーションを得る、ということなのかなと思います。

実際には、上の図のような単純なものでもないし、もっと複数の情報源があることが多いのですが、

 

私がこの作業がしやすいのは、経験と語彙の多さであることは間違いないと思います。

 

ちなみに、占星術ネット講座では専用の「あんちょこ」を受講生に無償配布しているのですが、このあんちょこの各星座や天体、ハウスなどの項目には、かなり細分化されたワード(語彙)が収録されています。

(これを個人で作成しようとすると、相当な労力と時間がかかるはず)

 

ただ、このインスピレーション的に語彙が結びつく。

その結果、その人物や出来事に対して、〝ある表現〟が生まれる、というのは、単純な演算の繰り返しではないと思われます。

現代の最先端のコンピュータは、この演算を超スピードで繰り返して、膨大な情報の中からある可能性や結論を導き出すのですが、これを〝意識的な思考〟でやると、とんでもない時間がかかります。

 

でも、一瞬で終わる。

人間の脳?なのか、意識?なのか、よくわかりませんが、

この演算を一瞬で終わらせる瞬間があり、

その結果、lock on~♪みたいな現象が起きます。

(あ、私の場合はです。占い師の中には〝見えている人〟もいるので、そういうかたはこういうプロセスは存在しないかも知れません)

 

 

このインスピレーションが得られる瞬間ですが、

エゴがあると、うまく行きません。

これは、ほぼ必ず。

 

頭で考えているとダメなのです。

雑念があってもダメ。

 

つまり、「これはこうだからこうのはず」とか、そういう論理思考でもない。

相談者のことを当てなきゃ、とか、よけいなことを考えていると、もうダメ。

また、降りてくるインスピレーションをつかまえようとしてもいけない。

 

そういう雑念は、インスピレーションを得ることの障害にしかなりません。

 

むしろ、無我。

自分がない状態でこそ、ふっと情報が結びつき、核心を突いた表現・ワードとなります。

私の場合は、よけいなことを考えず、その人のホロスコープの中に没入することで、自分のエゴを排除できます。

 

これは前にも書きましたが、小説の創作でもまったく同様なことが言えます。

登場人物をどうすべき、こうすべきとか、頭で考えると、私の場合はですが、ダメです。

創作初期では熟考はしますが、書きだしたら、

委ねる

任せる

という感覚のほうが、良いものが結果的にできます。

 

そのほうが、明らかに面白い物になるのです。

自分で考えると、ストーリーも陳腐、力がない、とかいう状態になりやすい。

 

降りてくるものをキャッチして、身を任せて、ただ書く(タイプする)。

 

こういうのは、ブログ執筆中ですらあります。

 

正直に言うと、昨日の記事は「考えて」います。

でも、あまりうまく行かなかったので、早めに切り上げています。

そのため、この記事は前後に分割されました。(内幕ネタバレ)(笑)

 

今日は、ただ流れに身を任せています。

 

上の図なんかも、「あ、こういう図があったほうがわかりやすいよな」という感覚が降りてきて、作っています。

こういうときは、こういう図だよな~という印象だけがあり、それを作図作業中に調整します。

 

こういったインスピレーションは、私の場合、〝自分がそこらへんにいない時〟に生まれます? うん? 与えられます、かな。

物語を書くこともも鑑定も、私にとっては〝与えられるもの〟なのです。

本質的には。

 

インスピレーションに身を任せた方が、うまく行く。

 

おっと!

最後に。

 

今日の記事には、ちょっと、注意が必要です。

 

インスピレーションを得て、自分の人生のなにがしかに生かそうと思う人は、とくに留意なさって下さいね。

 

・インスピレーションを受け取ろうとする際にエゴが混じっていると、インスピレーションを得たと思っても、それは真のインスピレーションではないかも。

・インスピレーションは、それを受け取る人によって、左右される。結果的に好ましくない領域からのインスピレーションを受け取ってしまう可能性もある。

・自分がニュートラルな状態にあるほうが、魂にとって良いインスピレーションを受け取れる。

 

つまりなんでもかんでも、インスピレーションが〝良い〟わけではないのです。

 

あれ?

もう一日、この関連記事が必要か?

 

すみません。

もうちょっと、明日あたりに補足します。

つまり、ニュートラルな状態について。

 

 

 

 

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