昔、日本全国を行脚していた時に、

”鬼何ちゃら”という山とか谷とか丘とかに出会うことがありました。

 

(八鬼山・・・とか、そういうの。)

 

そのあたりでは、

民間伝承として、(覚え間違いでなければですが)

鬼とは”悪鬼”のことではなく、

鬼=神様のような存在のもの

とのこと。

 

その理由は人が神様ときくと、人がありがたがって

がしがし山に入りたがるが、

鬼とつけると”はいらなくなる”、

つまり、ただ無作為・無遠慮に聖域たる山に入るのを避けるために、

鬼とつけたのだとか。(確かそんな感じだときいたような)

 

鬼=キ=気

 

と捉えると、鬼も神もたしかに”super”なものいうつながりもあるし、
上のように読みも同じなので、気が満ち満ちた、
鬼のつく場所=何だか”特別な気がある”場所・・・

なんていうふうに捉えることもできそうですね。

 

そうして考えると、節分の掛け声、”鬼は外”というのは、
-ここではオニであってキと呼ばないとしても -

ちょっと今風ではないのかも・・・と思ったりも。

 

また、もうちょっと膨らませて考えるなら、

「オニは外!!!」

とは、つまり、鬼というべき”ちょっと変わった特質”-例えば人外のパワーとも言えるトラサタパワー-

を外に出していい時期なのかも?!ととらえるとどうでしょうか。

 

鬼は外。

(人外のパワーを外に出すと)

福は内。

(福がやってくる)

 

勝手に解釈を改竄?新解釈にしてみましたが、どうでしょうか?

 

こうして捉えると、

一緒に描かれるイメージは

鬼が豆を投げつけられているもの、

その後に福の神みたいなひとがフォフォフォってやってくる!

みたいなものではなくて、

 

鬼といえる才能・願望・異端な才覚を外に出すと、

福がやってくるで!!!!!

 

と捉えることもできそうです。

 

 

 

節分2023.

 

風の時代の節分は、

社会の外(山羊座の世界)の世界へと、

自分の異端とも言える何かを外に打ち出して、(トラサタ、おそらく2/3は水瓶座期間ということもあり、天王星)

積極的にトラサタみを発揮していくときである・・・なんていうと、

ちょっと大袈裟、拡大解釈がすぎるでしょうか。

 

これからの時代は

evil とgoodになにかを事細かく分けない時代。

そういった前時代的な二元論を脱して、

鬼才も天才もありのままの自分もちょっとヘタレな自分も、

自分の中にある↑これら全てを並列に扱い、すべてを必要あらばだしていく・・・

 

そんなふうになっていくのかな、

そしてこの節分がそのトリガーポイントみたくなっているのかな、

なんて感じていますが、皆様はどんな節分をおすごしになられますか?

 

私?私は最近あまり歩けていないので歩いて、”気を巡らせる”かなぁ・・・。